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課題テーマに挑戦「増毛町」第6回

2017年03月02日

 課題テーマに挑戦「増毛町」第6回

上の画像は「雄冬岬の展望台」です。とても美しい景色ですね。必ず近いうちに訪れたいと思います。

今回で課題テーマ「増毛町」も第6回となります。今回は先ず、増毛観光情報局さまの「ましけコラム」の中から『エビ籠漁出漁へ』の記事を転載させて頂きます。

2017年02月28日

エビ籠漁出漁へ

増毛エビ籠漁が3月1日の出漁を前に準備。

赤いエビ籠が岸壁に並べられ、漁船の後方に積み込まれていきます。

一週間前に増毛港の排雪。ロープも積み込まれました。

 

昨年は、エビの水揚げ量が前年と比較して30パーセント以上落ち込みました。

今年は、豊漁を期待したいです。

3月1日午前0時。一斉に出漁します。

安全操業と豊漁を祈っています。(堀)

  

私、原科香月もたくさんのエビが獲れますように、そして何より無事帰港されますようにと祈念いたします。

「増毛町」第3回では、「漁業のあゆみ」を転載させて頂きました。主に鰊漁についてでした。今回は、「農業のあゆみ」についてやはり増毛町さまのホームページから抜粋させて頂きます。

[ 農 業のあゆみ ]

<明治期・大正期・昭和前期 1880年代~1945年>

1 開拓の経過とパイオニア

松前藩以来の漁業中心の傾向が続く増毛の農業は、大規模な入植もなく、従来からの漁労のために定住した者が片手間に耕すといった風潮が強かった。

増毛で農業を営む者には山形からの移住者が多く、漁業に従事した者には青森、秋田出身者が多いのと対照的でした。

2 水田農業の確立

明治42年(1909年)の資料では、水田48町歩に対して畑は1,175町歩で当時は畑作が主体だったようです。

3 果樹栽培の成立

増毛リンゴは、経営の成立する北限ということができますが、次のような自然条件及び経済地理的条件を備えていたからです。

①生育期(4月~10月)の平均気温が13.5℃前後

②暑寒沢は、暑寒別川に由来する礫の多い砂壌土でPH5.3前後、理想とする6.3にはやや不足でありましたが、排水はよく丘陵に囲まれているところがよい。

③留萌沿岸が増毛リンゴの生産量に見合う格好の消費地であったこと。

4昭和初期(戦前)の農業

昭和4年(1929年)の世界恐慌は日本の農作物価格に深刻な打撃を与え、翌昭和5年(1930年)の豊作飢饉、昭和6年(1931年)、昭和7年(1932年)と続いた凶作で農民の生活は貧苦の底にありました。

[戦後の農業の展開]

1 農地解放と戦後の農業

戦後における最も大きな出来事は、昭和21年(1946年)の農地解放でした。農地解放のあと、昭和23年(1948年)に増毛町農業協同組合が設立され、農業共済組合もスタートしました。

2 園芸の発達

リンゴの栽培では、昭和30年代に農薬散布の共同防除による能率化と経費削減、適時散布による有効性強化を図りました。これらの努力の結果、全国品評会でスターキングが昭和39年(1964年)には入賞、昭和41年(1966年)には農林大臣賞を受けるまでになりました。

3減反政策の経過

(1)減反政策

昭和30年代後半から国民一人当たりの米消費量が減少し始めた一方で、米価の引き上げを受け、水田面積の拡大、反収の上昇により米の生産量は飛躍的に増大しました。

(2)減反政策の波紋

本町に交付された転作助成補助金の合計は、19億5千万円余りになりましたが、この減反政策は、本町の稲作に対し水田及び農家の減少、更には次代の担い手の減少、就業者の高齢化などの様々な問題をもたらすことになりました。

<1990年代~現在 : 平成2年~現在>

1 水稲の生産動向

米の品種は、平成の時代に入ってもめまぐるしく変わりました。消費者に好まれ、売れる米づくりが求められる中、「ゆきひかり」「きらら397」が次々と登場しました。平成13年(2001年)には、「きらら397」「ほしのゆめ」で全体の80%を超え、その後、「ななつぼし」「おぼろづき」「ゆめぴりか」などの新銘柄が登場しました。

2 さくらんぼ栽培

昭和50年代に入り、リンゴの価格が低迷、さくらんぼの価格の高騰、消費者の需要拡大、輸送手段の進歩などにより果樹農家のさくらんぼ栽培が急速に増えていきました。

3 農産物の加工

昭和50年代に入り、地場の生産物に付加価値をつけて販売しようとする機運が高まっていました。また、最近では増毛産りんごや洋梨を原料としたシードルの製造を始めております。

4 果 樹

昭和50年代半ば、直売所などの対面販売を取り入れる農家が増え、生産者と新鮮で安全な農作物を求める消費者が直結する産直の形態が生まれていきました。観光果樹、産直販売の比率は、益々拡大していくことが見込まれます。収穫体験、会員制による契約販売、会員交流会、情報誌の発行、ホームページの開設などの取組みを通して、増毛型観光農園の模索は続いています。

 

以上、増毛町の「農業のあゆみ」について、ホームページより抜粋して転載させて頂きました。これで前回と合わせて、漁業のこと・農業のことを大筋で理解することが出来ました。でも、まだまだ知らなければならないことがあります。「増毛町」のことを詳しく知らなければ、私には作詞は出来ません。作詞は、まだ大分先になるかも知れません。皆さまよろしくお願い申し上げます。

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