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課題テーマに挑戦「鳥海山」第32回

2018年01月01日

 課題テーマに挑戦「鳥海山」第32回

皆さま、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。皆さま方の、ご健康と益々のご活躍を祈念いたしております。

今、窓の外はすっかり陽が高くなっています。今朝は5時過ぎに起き出し、コーヒーを飲みながらパソコンに向かっています。今やっと最終回(その1)を書き終えました。後は、(その2)だけで済みそうです。場合によっては、(その3)までいくかもしれませんが、出来ればその前に終わらせたいと思っています。それでは、最終回(その1)をご覧くださいますようお願い申し上げます。

 鳥海山物語

最終回 (その1)  昭和51年9月下旬

信彦は、1年半ぶりに故郷に帰って来ました。

雑貨屋の前のバス停を降りて、自宅に歩き出しました。青空に鳥海山が凛々しくそびえ、辺り一面には黄金色の稲穂が輝き、刈り入れの時を待っていました。

「ああ、やっと故郷に帰った!由美ちゃんはどうしているだろう?今すぐにでも逢いたい!!」

信彦は、昨年の5月に御嶽神社で由美子に逢った時からを回顧しながら、畦道を歩きました。

 

御嶽神社では、総一郎は由美子に確かに言いました。『二人の結婚を両親は反対しているけど、僕は必ず由美子ちゃんと結婚するからね。これからは、何があっても信じ合おうね!』由美子の手を強く握り、信彦は心の底から声を搾り出しながら話したのを昨日のように思い出しました。

総一郎は翌日東京のアパートの戻り、しばらく普通どおりに生活していましたが、6月に入ったころから咳と微熱が続くようになりました。風邪かと総一郎は仕事の忙しさにかまけて放置していました。しかし、そのうち食欲も低下した総一郎はただの風邪ではないと心配になり、休暇を取り近くの医院を受診しました。初老の医師は今までの様子を聞いたり、聴診器を胸に当てたりしながら言いました。

「大きな病院で一度診て貰いなさい。紹介状を書いてあげるから。」

翌日会社に事情を話し、アパートから歩いて行ける程の距離にある大きな病院を訪れました。およそ半日かかった受診の結果、即日入院となりました。病名は、肺結核とのことでした。レントゲンを撮り、痰も採取されました。なんでも結核菌が検出されるかどうかの結果が出るまで1ヶ月も掛かるとのことで、もし結核菌が陽性なら周囲の人にうつしてしまうので、結果が出る前から入院の必要があると50歳前後の呼吸器科の医師は告げました。

総一郎は、あることがその時とても心配になり医師に尋ねました。

「先生、田舎の両親に手紙を出すことは、問題ないでしょうか?」

医師は、もし結核菌が陽性なら例え手紙でも感染する可能性がゼロではないから、それは許可できない。手紙でなくとも電話があるじゃないかと無情な返事でした。

医師に診断書を依頼し、会社には長期休暇のお願いと診断書の提出の連絡をし、また実家の両親にも事情を電話で伝えました。母は驚きながらも、月に何度か栄養のあるものを女中のお里に届けさせるから、また、アパートの掃除もついでにさせると言い、今の時代結核は何の心配もない病気だと、総一郎を安心させようと何度も念を押しました。

結核の入院生活は、服薬の他には何もすることがなく、ただ安静にして栄養のあるものを食べるということだけでした。余りの退屈に会社の同僚に電話をし、欲しい本を10冊程度買い求めて送ってもらい、読書三昧の総一郎でした。

検査の結果やはり結核菌は陽性で、一年近くの入院生活になるとの冷たい医師の言葉に、総一郎は愕然としました。

ただ、由美子に今の状況を知らせなければと、それだけが心配でした。手紙を出すことを禁じられ、その上で周りに知られずに由美子に連絡を取ることは難しいことでした。ただ、御嶽神社で手を取りながら話した、信じ合おうと言った言葉だけが唯一救いの総一郎でした。

総一郎にある名案が浮かびました。十日に一度は訪れてくれる女中のお里に、何とか事情を由美子に伝えて貰うということです。でも直接お里に会って話せないので、担当の看護婦に頼みました。まだ20代の若い看護婦は、ニヤッと笑って、分かりましたよ!と、大きな声で返事をしてくれたのでした。

もう入院して4ヶ月になり、師走の季節となりました。女中のお里を通じ、由美子にはこの病院に入院していることが分かっている筈なのに、一向に何の連絡もありません。手紙も届かないのです。これはどうしたことか、総一郎には不思議でなりませんでした。総一郎は、由美子の自分に対しての愛情に絶対の自信を持っています。

「何か事情があるに違いない。この病気が治るまでの辛抱だ。由美ちゃんの気持は変わらない筈だ。それだけは、疑ってはならない。」

年が明け、春が来て、梅雨の季節になった頃、総一郎は医師から結核菌の排出が見られないのでもうすぐ退院だと知らされました。

しかし、最近の総一郎は空腹時にみぞおち付近が痛み、胸やけと吐き気もみられるようになっていました。ある日、吐き気がしてトイレに行くと、黒褐色の血と咀嚼物と一緒に吐きました。吐血です。備え付けられた呼び鈴を鳴らすと、看護婦がすぐやって来て、トイレを見るなり慌てて医師を呼びに走りました。

結局、胃潰瘍と診断され、結核病棟からは解放されたものの、再び入院生活を続けることになりました。

総一郎は、由美子から何の連絡もないことに、大きな不安を抱くようになっていました。結核菌の排出が陰性となってから、訪ねてくる女中のお里に手紙の投函を頼み、その数は既に6通を超えています。それなのに、何の返事もないのです。総一郎は、由美子の愛を少しも疑ってはいませんが、この状況は信じられず、ストレスのみを増大させました。

消化器病棟へ移ってからは、女中のお里が総一郎のアパートに泊まり込みながら毎日病院に通い、身の回りの世話を焼いてくれました。

押し寄せる不安と闘いながらも手術をせずに完治し、医師から退院の許可を得たのは、秋田の田舎ではもう直ぐ稲刈りが始まるという9月の末でした。退院の日、総一郎とお里は総一郎のアパートに戻りました。お里は夕飯の支度をし、部屋を片付けると、秋田の総一郎の家に帰って行きました。要らなくなった荷物を持って帰り、また総一郎の部屋の掃除やら準備があるからというのがその理由でした。

総一郎は畦道を歩きながら、由美子に逢いたいという逸る心を抑えきれずに、逢ったら何から話そうかと思案していました。                 つづく

※今回のこの内容には、昭和50年頃の医学的な見地から誤りがあるかも知れません。ご了承くださいませ。

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