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創作の小部屋 第3回「三女さきちゃん誕生」

2017年11月12日

 三女さきちゃん誕生

さっそくですが、第3回目の創作の小部屋のタイトルは「三女さきちゃん誕生」です。誰でもいろんな想いを抱いて生きています。人に話せない、自分の胸に閉まっている想いもあろうかと思います。

今回のテーマ「三女さきちゃん誕生」は、そんな想いをテーマにしてみたいと思います。

  三女さきちゃん誕生

おばあちゃんには、3人姉妹の孫がいます。

近所の奥さんたちからよく言われます。「え~!お孫さんがいるの?それも3人!」

そうなんです。ほんとうに3人の孫がいるとは思えないほど、おばあちゃんは若く肌もつやつやしています。40代の半ばですからもちろん若いのは当然ですが、30代の前半と言っても多分多くの人は信じてしまうでしょう。

話は、さきちゃんが生まれる前に戻ります。

 

≪第Ⅰ章≫ おばあちゃんのこころ

おばあちゃんに、「私、3人目の赤ちゃんができたよ。」と、同じ県内に住む一人娘の香里さんから連絡が入ったのは、確か平成17年の師走に入ったばかりの頃で、夕ご飯の支度をしている最中でした。

「おめでとう!うゎ~やったね!無理しちゃダメよ!」

もうおばあちゃんは、おさかなが焦げているのも、気が付かないほど嬉しくてたまりませんでした。

でも、そのとき口には出しませんでしたが、今度も女の子だったらいいなとおばあちゃんは思いました。

おばあちゃんは、待ち遠しくてなりません。正月が過ぎ、節句が過ぎ、こどもの日が過ぎましたが、出産の予定日まではまだ先です。一日々々が長く感じられてなりませんでした。

やっと、梅雨はまだ明けきらない、でもよく晴れた午後に、香里さんからやっと電話が入りました。

「陣痛が始まったんだけど、産まれるのは多分明日の明け方かな?悪いけど今晩来てもらっていい?」

お産のときはいつも駆けつけています。何より娘が心強いだろうし、やはり女性でなければ気が付かない身の回りのことがたくさんあるからです。

おばあちゃんのご主人が帰宅するのを待ち、夕ご飯も食べずに急いで香里さんの家に向かいました。もちろんご主人も一緒です。香里さん、夫の拓哉さん、そしておばあちゃんが病院にでかけた後、上の2人のお姉ちゃんたちの面倒をご主人にみてもらうためです。

病院の待合室で、おばあちゃんは拓哉さんと一緒に、静かにそのときを待ちました。

もう夜中の1時はとっくに過ぎました。病院の待合室は静かで、何か香里さんが分娩室で必死に頑張っているのが不思議な気がしました。

「ここで待っていて下さい。産まれたらご連絡しますから。」と指示をした若い看護師さんが走ってきたのは、もう2時近くでした。

「おめでとうございます。3500グラムの元気な女の赤ちゃんです。もちろんお母さんも元気ですよ!」

 

≪第2章≫ 休みの日が何より嫌いだった拓也さんのこころ

香里さんの夫の卓也さんには、お父さんがいませんでした。まだ拓也さんが幼いときに何十万人に一人という病気で亡くなったのでした。拓也さんには、お父さんの記憶がありません。拓也さんは小学生のときから、休みの日が大嫌いになりました。なぜ嫌いかというと、お父さんが自分にはいないんだという現実に、否応なく向き合わざるを得ないからです。

AちゃんBちゃんもCちゃんも、休みの日に拓也さんが遊びに行くと、キャッチボールやりサッカーをしていて、いつもお父さんと一緒です。また休日の次の日には、お父さんと魚釣りに出かけた話や、キャンプに出かけた話、またまた旅行に出かけた話など必ず聞かされるのでした。

そういうことが何度もあり、拓也さんはすっかり休みの日がきらいになったのでした。

拓也さんは、香里さんと付き合い始めて結婚を意識するようになってから、一つの夢を持ちました。それは、もちろん自分が羨ましくてならなかった父親と息子の触れ合いです。息子ができたなら、キャッチボール・サッカー・魚釣り・旅行など、小学生のとき友だちが恨めしく、小さな胸が張り裂けんばかりに嫉妬したそのすべてを、思う存分今度は父親という役で叶えたいと思ったのです。

香里さんとの間に生まれた初めての子どもは、女の子でした。それはそれは愛おしいものでした。男の子だったらなどと露ほども考えませんでした。目に入れても痛くないという言葉の意味もわかりました。

二人目の女の子のときも同じです。子どもの可愛さに、順番はありません。拓也さんは、やはり目に入れても痛くないと思いました。

でも、今度は違いました。妻の香里さんから妊娠を告げられたとき、拓也さんは、おとこの子が欲しいと心から思いました。あの小学生のときの思いが強く湧き上がったのです。でも香里さんに、その気持ちを伝えることはしませんでした。いや、出来ませんでした。もしおんなの子であった場合、口に出してしまうことで、罪を犯したような、なにか後ろめたい気分になることが怖かったのです。

待合室の薄明るい部屋の掛け時計は、午前2時少し前でした。若い看護師が息を弾ませながら、興奮した声で言いました。

「おめでとうございます。3500グラムの元気な女の赤ちゃんです。もちろんお母さんも元気ですよ!」

拓也さんは、瞬間狼狽しました。おばあちゃんは少し離れた席から、急に拓也さんの隣に座り直しました。

 

≪第3章≫ 父親の夢と子どもの幸せ

看護師から、3480グラムの女のあかちゃんが産まれ、母子ともに無事だという言葉を聞いたとき、確かに一瞬でしたが拓也さんに戸惑いのような表情があったことにおばあちゃんは気付きました。

「とにかく、母子ともに元気でなによりね!」

おばあちゃんは、少し離れた椅子から、拓也さんのすぐ脇に座りなおして言いました。

「拓也さん、私ね・・・。私はね。香里から3番目の子を妊娠したと聞いたとき、また女の子だったらいいな!って思ったの。

おばあちゃんは、静かに話し始めました。

「男の子か女の子かは、もちろん神様が決めてくれることで、おばあちゃんの私がどうのこうのと言う立場じゃないのは分かっているわ。私には、兄が3人いるけど、女は私一人。小学4年生のときにね、つまらない誤解から私、クラス中の友達からいじめられたことがあったの。そのとき兄達には言えなかった。相談できなかった。もし、お姉さんだったら、思いっきり泣いて甘えたかったのに。私はじっと時が解決してくれるのを待つしかなかった。そういうことって、挙げたらきりがないほどたくさんあって、『どうして私には姉妹がいないの?』って、その度にずいぶん母親を責めたわ。

一番辛かったのはね。母が脳梗塞で倒れたときだった。私は結婚したばかりだったけど、直ぐ近くに住んでいたので毎日病院に通ったの。私は仕事が終わると病院に寄って母の様子を見て、洗濯物を持ち帰った。それから父の食事の用意をして、主人つまりあなたの義祖父の待つアパートにやっともどったわ。もちろん日曜日も行った。そんな生活を2ヶ月近く続けて、私は心から疲れきってしまったわ。兄達はそれぞれ子どもがいたし、ましてや遠くに住んでいたから代わって欲しいとは言えなかった。

そのときもつくづく思った。実の姉か妹がいたら、どれだけ救われたただうって!ごめんなさい!暗い話しばっかりしちゃって。そういえば、拓也さんが小さいときに、おとうさんが亡くなったんだったわね。おとうさんと遊んだ思い出もないのよね?辛いとき、どれほど父親に甘えたかったでしょう!嬉しかったとき、どれほど父親と一緒によろこびたかったでしょう!

あなたは香里と結婚して、父親と息子の男同士の関係を創りたかったのは、私には分かっていたわ!あなたは口には出さなかったけれど。もし、あなたの希望したように男の子が産れていたら、きっと私と同じように相談できる兄弟がなくて寂しい想いをすることになったんじゃないかしら?私の子どもは香里一人だけ、あなた達夫婦には子どもが3人、私の3倍も幸せなのよ。羨ましいわ。」

おばあちゃんの独り言のような静かな話しを聞いていた拓也さんの、男の人の割には白すぎる顔面にみるみる涙が溢れ、やがて幸せそうな表情に変化していく様を、おばあちゃんは手に取るように感じていました。         おわり     

 

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