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創作の小部屋第10回「明石の母に送った手紙」

2018年08月18日

 創作の小部屋第10回「明石の母へ」

「明石の母」の作詞がほぼ完成しましたので、この作詞の基となった主人公陽菜(はるな)さんが故郷明石の母に送った手紙の全文を「創作の小部屋」に収めておこうと思いました。この「明石の母」の作詞は、「課題テーマ『明石の母』第18回」でご覧いただけます。陽菜さんは兵庫県の明石市から、遠いつくばの大学に入学されたとても明るくきれいな方です。二人で撮った写真の向かって右側が陽菜さんです。左側は仲良しの加奈さんです。

明石の母へ 陽菜より

お母さん、この前電話で話したばかりだけど、今日やっと期末試験も終わりましたので、しばらく振りに手紙を書きたくなりました。便利な世の中で、いつでも声が聴けるのに、どうしてでしょう?ふと、手紙を書きたくなる時があります。

つくばの大学に来てまだ4ヶ月を過ぎたばかりですが、やっとここの生活にも慣れつつあります。宿舎に住んでいますので、寂しくはありません。友達もたくさんできました。南は沖縄、北は北海道まで全国からこの大学に来ているようです。宿舎も同じように、南国から北国まで遥か遠い地に故郷を持つ人も少なくありません。

ここは研究学園都市として、世界中から多くの研究者が集まる国際都市なのです。もちろん大学にも、アジア系の学生ばかりでなく、欧米やアフリカ系の人もたくさんいて、キャンパスでは、ふと「ここは日本だったかな?」と戸惑うこともあるくらいです。

大学が休みの日は、宿舎の仲間と買い物に行ったり、一緒にご飯を作って食べたりしています。でも、お母さんに申し訳ないので、少しでも出費を減らそうと節約もしています。3年生になったらアルバイトをしたいと考えています。ですから、外食はほとんどしません。秋田生まれの加奈ちゃんは料理が得意で、よく北国の料理を作ってくれます。もちろん、材料費は折半ですが。(加奈ちゃんと一緒の写真を同封します。向かって左側が加奈ちゃんです。メールでも送れますが、財布の中にでも入れて、時々取り出して見て下さいね。)

私が高校2年生の時、お父さんが交通事故で亡くなり、私は大学進学を諦めました。明石市で就職し、一生を明石市で過ごすことになるだろうと覚悟をしていました。そんな私にある日、お母さんは声を掛けてくれましたね。

「陽菜、お前は勉強が好きなんだから、大学に行ってもいいよ。お金は何とかなるから。お父さんの保険金や多少の蓄えもあるし。でも、決して無駄に使えるお金はないからね!まあ、正直、公立だと有難いのだけれど。」

私は、キョトンとして、お母さんの言う意味が分かりませんでした。少しして、やっと我に返り、お母さんに尋ねたよね。

「お母さん、えッ、大学に行ってもいいって?本当にいいの?お金、本当に大丈夫なの!」

お母さんは、微笑みながら頷いたね。私は、すごく嬉しくなって、つい本音が出てしまい、お母さんの笑顔を曇らせてしまいました。

「私、大学に行けるなら、東京のもっと北にある茨城県のつくばの大学に行きたいの!」

お母さんは、「そう。」とだけ呟いて、台所に向いましたね。私は、お母さんに悪いことをしてしまったと後悔したけれど、でも本心だったのです。お母さんには隠していたけれど、実は、秘かに行きたい大学を探していて、私の学びたいある分野では、どうしてもつくばの大学しかありませんでした。でも、先程書いたように、夢だと諦めていました。

その後、何度も「家から通える大学にして!」と、お母さんは言われました。が、どうしてもこのつくばの大学でしか学べないことがあるのでと、私の強引な主張を最後は潔く認めてくれ、本当に今でも感謝しています。

その時のお母さんは笑顔でしたが、会話の中で一瞬とても寂しそうな表情も垣間見え、「ゴメンナサイ」と部屋に戻ってから瞼を濡らしたのを覚えています。

私は幼い時から小児喘息で、幼稚園や小学生の時には、何度も入院しましたよね。夜中に、お父さんの車に乗って、病院の救急外来に何度も行ったことをよく覚えています。こういうこともあり、お母さんは、家から通える大学にしてと、言ってくれたのかと思っています。でも、私ももう18歳になりました。選挙権もあるのです。言わば、もう大人です。大丈夫です。大学の近くには、救急救命センターがあり、万が一何かあっても、車を持っている仲間に連れて行ってもらえますから。その点は、安心して下さい。

今まで、電話で話したことばかりを書いていて、これ以上書くことが無くなりました。お母さんに伝えたいことは、これくらいです。

あっ、思い出しました。やはり異郷に来ると、自分の育った故郷がやはり恋しくなります。家から良く見える、明石海峡大橋や明石城のある明石公園、そしてお母さんと合格祈願に行った住吉神社などが、ここに来てまだ数か月なのに懐かしくてなりません。多くの仲間と楽しく暮らしているのに、多少ホームシックなのでしょうか?

明石と比べたらつくばは、中心地から少し離れると畑や田んぼで、正直田舎だと思いました。でも、安心して下さい。多分私の人生の中で、ここつくばは第2の故郷になると思いますが、たくさんの自然に囲まれたとっても素晴らしいところです。近くにはきれいな公園もたくさんあります。私は、宿舎の窓から見える筑波山が好きになってしまいました。

この筑波山は、朝は藍、昼は緑、夕方は紫と時間帯によって山肌が変化します。ですので、別名「紫峰」とも呼ばれています。日本百名山の一つでもあるこの筑波山は、万葉集にも沢山詠われていて、「西の富士、東の筑波」と富士山と並び称されているとても有名な山です。

つくばではありませんが、車で30分も掛からないところに、日本で2番目に大きい湖の「霞ヶ浦」があります。先日の日曜日、友達数人でドライブに行って来ました。その時に撮ったものではありませんが、霞ヶ浦の画像も送ります。

まだ何か書き残している気がしますが、また思い付いたら手紙を書きます。やはり、電話で話すのと、こうして手紙を書くのとでは違うような気がします。背筋が伸びて、少し緊張します。

お母さん、心配しないで下さい。陽菜は、毎食ちゃんとしっかり食べて、勉強を頑張ります。たまには、友達と遊びに行ったりしますが、お金はなるべく無駄には使いません。3年生になったら、アルバイトをして少しでも仕送りを減らせるようにしたいと考えています。そして、夏休みはお金がもったいないので帰省せずに、短期のアルバイトを加奈ちゃんと探すつもりです。

寂しくなったら、お母さんの声が聴きたくなったら電話します。また、ふと手紙を書きたくなったら、また取り留めもないことを便箋にしたためたいと思います。お母さんも猛暑の折、くれぐれもお体を大切にしてください。

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