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創作の小部屋「独居老人のひとり言」第26回

2019年06月01日

 「独居老人のひとり言」第26回

もう数分で6月1日の午後0時になります。今朝から第25回と第26回を書いていましたが、今書き終わりアップするところです。今日は筆の進みが良く、一気に2話を書き上げました。この後の展開をなるべく早めに書き終えて、本来の作詞教室に戻ろうと思っています。横道に逸れないように注意したいと思います。

  「独居老人のひとり言」第26回

第25章 二人だけの誓い

私は、次の行動に出ようとしたけれど、私の体は意志に背いて反応しなかった。私の愛する妻の仏壇がある家の中での行為は、無意識に妻に対する背信行為という後ろめたさが私を萎縮させているようだった。

私は、気まずい思いのまま、大川さんから体を離した。大川さんは、無言だったけれど、私を責めるというような雰囲気ではなかった。むしろ、自分から押しかけ、暗に誘ったというような照れの表情にさえ見えた。

大川さんは、30代で事情があり夫と別れ、一人息子を育ててきた。大川さんなら、言い寄ってきた男たちも大勢いたことだろうと思うが、大手の運送会社で事務員として働き、息子を大学まで進学させた。その息子は、今引きこもりとなって一日中家の中にいる。

「私、将来のことを考えると、息子と二人で死んでしまいたいと思うことがあります。このまま私が高齢になり働けなくなったら、息子はどうなるのかと思い枕を濡らす毎日でした。

でも、パソコンの勉強会や「なのはな会」に力を尽くす小松さんを好きになってから、私にも生きる力が湧いて来ました。こうして、小松さんの家まで押しかけて来て、本当はご迷惑なのではと思いながら、小松さんの優しさに甘えてしまいました。

小松さんに抱きしめて貰い、乾いた土に降る雨がどんどん滲みて行くように、私の心に空いていた女の幸せが溢れていきました。心がときめきました。30代や40代の世間でいう女盛りの時、体が火照って狂おしい時もありましたが、気が付くと私はもうおばあちゃんになっていました。

正直にお話ししますと、小松さんを好きになってから、失ったあの頃の自分を想いだしました。私も、まだまだ女なのだと気付きました」

そこまで話すと、喉の渇きを潤すように冷めたコーヒーを口に運んだ。女の大川さんにそこまで言わせた私は、やっと重い口を開いた。

「大川さん、ありがとう。私は初めて大川さんにパソコン勉強会で会ったときから、気になっていました。私も正直に言いますが、大好きだった妻にとても良く似ているのです。顔や姿という訳ではなく、ちょっとした仕草が妻そっくりで、さっきも夕飯を食べながら、一瞬元気だったころの妻と食事をしているような錯覚に陥りました。

でも、妻に似ているからではなく、今の大川さんが好きなんだとこの場で自信を持って言えます。私も、大川さんが大好きです。

私も大川さんに会うまでは、拗ねていました。財産もこれと言った能力もない私なんか生きていてもしょうがないんじゃないかと、半ばうつ病のように涙もろく虚ろな毎日でした。

しかし、大川さんに会うようになってから、私は生きる張り合いが持てるようになりました。今では『なのはな会』の会長として少しは皆さんのお役に立てるようにもなりました。これは、すべて大川さんのお蔭です」

私は飾らずに自分の気持ちを打ち明けた。大川さんの顔を見ると、みるみる内に大きな涙を頬に溢れさせた。ハンカチで拭いながら、今度は大川さんが話し始めた。

「初めて小松さんの家にお邪魔させて頂いた日に、私は小松さんの奥様の仏壇にお線香を上げさせて頂きました。その時、私は奥様とお話をしました。本当です。

私が小松さんを好きになってもいいですかとお聞きしましたら、奥様は笑顔でよろしくお願いします、とお答えになられました。奥様は、私に小松さんの面倒を見て頂きたいと逆にお願いをされたのです。私は、もちろん奥様のことは仏壇のお写真でしか知りませんが、確かに奥様は私に語りかけてくれたのです。

奥様のお許しを得た私は、小松さんに積極的になりました。そして生きることが楽しくなってきました。今日も、私は嬉しくてたまりませんでした。心の中で、奥様に感謝しました。

私も女です。小松さんに抱かれたいとさっきまで思っていました。でも、小松さんは躊躇されました。その訳は私には分かりませんが、私も気付きました。私には一人息子がいます。この息子を独り立ちさせない限り、私だけが幸せになることは許されないと、今気付きました」

私が躊躇した訳は、妻への背信と言って良いかと思う。しかし驚くことに大川さんは、私の家を初めて訪れたその日のうちに、仏壇の妻と会話をし、許しを得たと言う。私は、仏壇の妻と話をしたという大川さんの言葉を信じた。私にも、似たような体験がある。理屈などでは説明できないことなのでここでは省く。

「大川さんの気持ちは良く分かりました。それに妻も大川さんならと許してくれたそうですから、これからは、誰に気兼ねすることなく大川さんと齢を重ねて行きたいと思います。息子さんが独り立ちするまでは、私もそのために出来る限りのことをさせて頂きます。そして、その日までは、大川さんを抱くのは我慢します」

私の言葉を聞いていた大川さんは、涙のまま私にしがみついて来た。私は、大川さんの髪を撫でながら、今後のことを考えた。

先は長い!大川さんの息子さんが独り立ちするまでは、私も大川さんも健康でいなければならない!今の私たちは、栄養(料理)については学んでいるけれど、もっと積極的なアクションが必要なのではないか!それが何なのかを知るまでに時間は掛からなかった。           つづく

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