小鳥

私が作詞した曲

私が作詞した曲

19曲をご紹介させて頂きます。

俺の港だ 鯵ヶ沢

この作詞は、栃木県の山大紅葉さまから「海の漁師の歌」というご要望で作らせて頂きました。山大さまご提案8か所の地名の中から、「鯵ヶ沢町」を選ばせて頂きました。

私は青森県には一度十和田湖には行ったことがあります。ですが、鰺ヶ沢町には行ったことがなく何の知識もありませんでした。また作詞も25の数を作りましたが、漁師の作詞は初めてでした。とても興味を覚えました。

鰺ヶ沢町の地図を見たり、また鰺ヶ沢町のHPや漁協組合様のHPなどから知識を得ました。また、ネットではどうしても分からないことは、鰺ヶ沢漁協様にお電話をしまして教えて頂きました。電話口に出られた方は、とても丁寧な対応をして下さり、私の疑問は解けました。心から感謝致しております。

この作詞をする前に、小さな物語を作りました。その物語を基に、作詞を致しました。
この曲は、山大紅葉さまのオリジナル曲として創られたのですが、山大さまのご快諾のうえ、奥れなさんに歌って頂きました。とても素晴らしい歌唱力で感激いたしました。

ときめきの茨城空港

「ときめきの茨城空港」の作詞のきっかけは、2018年の8月半ば過ぎにラジオで茨城空港についてのニュースを聞いたことでした。

「茨城空港」はもちろん茨城県にある訳ですが、私は一度も利用したことがありません。出発はいつも羽田空港です。ですので、恥ずかしいことですが、茨城空港についての知識がありませんでした。それでこの機会に「茨城空港」を知り、作詞が出来たらとの思いで「茨城空港」を訪問いたしました。

「茨城空港」について学びながら、ロマンチックな歌詞を作れたらいなとその時思いました。

それから「茨城空港」での飛行機の離陸の瞬間や空港内の撮影などのため5~6回程訪れました。帰りがけに「空の駅 そ・ら・ら」にも寄らせて頂きました。「空の駅 そ・ら・ら」では、いつもにイベント等が行われていて楽しむことができました。

この「ときめきの茨城空港」は、初めてのデュエット曲で、思うように進めることが困難でした。茨城県の代表的な霞ヶ浦や筑波山を織り交ぜながら、「茨城空港」の魅力を引き出すにはどうしたら良いか、本当に悩みました。

何度も頭を抱えながら、2018年8月25日の第1回から始めて、2019年9月18日の第18回で「ときめきの茨城空港」がやっと完成しました。この日のブログにも記載しましたが、本当に作詞という行為は難しいと感じました。
歌い手の綿引明美さんと倉本佳一さんのデュエットには、とても感動いたしました。

唐津おんな一人

この「唐津市」の作詞は福岡県生まれの方から、「佐賀県の唐津市」の曲をということから始まりました。2018年の12月23日のことです。

いつものように唐津市のHPや観光協会様のHP、またウィキメディアさまからの情報を参考にさせていただきました。もちろん一度訪問したほうが良いのですが、仕事もあり経済的にも難しく、どうしても遠方の作詞はネットでの情報収集に頼らざるを得ません。

調べてみますと、唐津市にはたくさんの名所や素晴らしいところがあり、的を絞り切れずに、ただ月日だけを浪費してしまいました。唐津市の情報を集めながら並行して進めましたが、「ときめきの茨城空港」「物語 独居老人のひとり言」「あたしはトイレの清掃員」「俺の港だ 鯵ヶ沢」を結果的に優先して完成させてしまいました。

当然「唐津市」の作詞は延び延びになり、ほとんど進みませんでした。2019年3月の第11回でようやく「ことば集め」に入りましたが、また別な作詞の完成を目指したため、結局開始から約1年後の2019年12月14日に完成いたしました。福岡県生まれの方は、包容力のある方で怒るどころか「良い作詞だ」と褒めてくださいました。申し訳ありませんでした。
歌唱は、花山愛子さんです。とても魅力的な声と歌唱力で、素晴らしい曲となりました。

世界で一番大好きな夕香ちゃんへ

私の尊敬する方をイメージして「夕香金沢ひとり旅」という物語を書きました。その中で、おじいちゃんから孫の夕香ちゃんに宛てた手紙を挿入しました。

この手紙は、作詞ではなく散文詩でした。私が筧哲郎先生に、この手紙を作曲して頂けないかとご相談すると、「このような作詞は初めてですが、チャレンジしてみます」とのお答えでした。とても有難く思いました。

しばらくして、曲と歌入れが完成したのです。歌い手の方は男性と女性の方にお願いいたしました。男性は作曲家の倉本佳一さんで、女性は奥れなさんです。

今回は、奥れなさんの「世界で一番大好きな夕香ちゃんへ」をお聴き頂きます。

思川慕情

昨年(2018年)の10月の半ば過ぎに、私の住むつくば市の地区で一泊の温泉旅行がありました。その帰り、栃木県の小山市を流れる「思川」の橋を渡った時のことです。役員のある重鎮の方が申しました。

「原科君、思川とは随分情緒のある川の名前じゃないか。どうだい、思川の歌を作ってみないか?」

私は初めて聞く川の名前でしたが、確かに魅力のある川の名前で、即座に承諾いたしました。その日は10月の21日でした。翌日から、合計6回ほど思川を訪れました。デジカメで川や辺りの写真を撮り、また橋を渡る方や土手を歩く方にいろいろお話を伺いました。

とても悲しく、涙が止まらない辛いお話もお聞きしました。その日は帰りの車中も胸が苦しく、ずっと気が晴れませんでした。訪問したことを正直後悔したほどでした。しかし、何とか「思川」の作詞を幼い二人の魂のためにも完成させたいと強く念じました。

思い川の水流は清く、また素晴らしい歴史や伝統工芸もあり、私の作詞も順調に進みましたが、ふと「下野しぼりの流し雛」のことばの解釈で自信が無くなりました。困った私は、小山市の伝統工芸「下野しぼり」の後継者・諏訪先生にお電話で相談させて頂きました。不躾な私の質問に、とても丁寧に説明して下さいました。

そのお蔭もありまして、何とか作詞を完成することが出来ました。DVDの画像用として「道の駅 思川」で、諏訪先生が作られた「思川の流しびな」を買い求め、「乙女河岸跡」で朝日に輝く「下野人形」を撮りました。

最終校正を終え、筧哲郎先生に作曲・編曲(作曲者名 竹見さとし先生)をお願いし、歌唱は綿引明美さんにお願い致しました。私の拙い作詞が、筧先生のお力と綿引さんの歌唱で「思川慕情」が完成しました。綿引さんの澄んだ声と素晴らしい歌唱力に、私は感動してしまいました。

お二人には心から感謝申し上げますと共に、小山市の多くの方々にご視聴頂けましたら、これ以上の喜びはありません。

明石の母~つくばの学び舎にて~

今年(2018年)の春、明石市からここつくば市の大学に入学された方と話をする機会がありました。つくば市からすると明石市は、遥か遠い異郷という感じが致します。

大阪を過ぎ、東京を飛び越えてまで、茨城県のつくば市に来られた訳をお聞き致しますと、どうしてもつくばの大学でなければ学べない学術分野があったためということでした。

「お母さんは反対しなかったの?」との私の問いに「家から通える大学にして欲しい!」と何度も懇願されたそうですが、でも最後は「親の都合で、後悔させるようなことがあってはならない」と許してくれたそうです。

私は、自分の寂しさなどより、我が子の願いの成就を優先させる母心に感動せずにはおられませんでした。

子にも親の想いは伝わっているのです。その感謝の気持ちを作詞いたしました。

作曲は竹見さとし先生、編曲は筧哲郎先生です。そして歌唱は、「ふるさと増毛」「白椿」等を歌って頂きました奥れなさんです。素晴らしい曲と見事な歌唱にこころから感謝致しております。

鳥海山物語

「鳥海山物語」を作詞したキッカケは、秋田県のアップルスターさんという方から、「鳥海山」をテーマにした作詞をとのご提案を頂いたことです。私は全く知識のない「鳥海山」でしたが、快くお受けすることに致しました。

作詞を進めるに当たって、ネットでいろいろ情報を得たり、画像を捜したりしましたが、具体的にイメージが湧かず、焦るばかりでした。

悩んだあげく、以前、室蘭のトッカリショの作詞で「トッカリショの伝説」という物語を作り、そのストーリーを基に作詞をしたことを思い出し、「鳥海山」も同じ方法を用いることに決めました。

題名を「鳥海山物語」とし、2017年の9月16日の第5回目から物語を書き始めました。書きながら直ぐアップするという方法でした。ですので、漢字の変換を間違えたり、ストーリーも思い付きでどんどん書いて行きましたので、脈絡や整合性にも多少問題があったかと思われます。

第5回から書き始め、第33回の2018年1月3日にやっと書き上がりました。物語を書き終えてから、それでも第42回までの9回目でやっと作詞が完成しました。この「鳥海山物語」の作詞が誕生するまで、第1回目から約5ヶ月の時を費やしてしまいました。

作曲は竹見さとし先生、編曲は筧哲郎先生です。そして歌唱は、「高知わたしの故郷」「霧降高原哀歌」等を歌って頂きました綿引明美さんです。皆さまのお力で、とても素晴らしい曲になったと感謝致しております。アップルスターさんもとても喜んで下さいました。

しあわせの傘

この「しあわせの傘」は、私のフォト仲間の方から「傘」をテーマとした作詞をとのご提案を頂き作詞を開始しました。

初めは「傘」をテーマと申しましても、漠然としたイメージしか浮かばず、どう進めて行こうかしばらく悩みました。ある時ふと、「傘を差した女性」の画像をあるフォト購入サイトから探し、その女性をイメージして作詞をするという手法を思い付きました。

さっそく「傘を差した女性」を多くの画像の中から探していきました。しばらくの後、やっとイメージに合う画像が見つかりました。その女性は黒い傘を差し、明るくとてもお茶目という印象でした。

作詞は、この女性が恋愛をしたなら、こんな感じかなと想像を膨らませながら進めました。(この方の画像は、「私の作った歌詞」からご覧いただけます。)

作曲は竹見さとし先生(編曲・筧哲郎先生)、そして歌唱は、綿引明美さんです。綿引さんの声は、澄んだとても美しい音色で、この曲の歌唱者は綿引さんしかいないと思いました。

歌入れ後のCDを何度も拝聴しましたが、私はとても満足でした。

白椿

フォト仲間のhanahanaさんから「白椿」というタイトルでの作詞を、というご提案を頂きました。「白椿」とても響きのよい花の名前で、乗り気になりました。

初めは、恋愛もので簡単に作れると安易に考え、いきなり1番から3番までの言葉を並べてしまいました。しかし、それから全く進まなくなりました。ストーリーの整合性や脈絡、まったく自信がなくなりました。

どうしても纏まらずに悩んでいた時に、ふとオペラ「椿姫」を思い出しました。そのストーリーを思い浮かべたところ、1時間で作詞がほぼ出来上がりました。

作詞はいくら考えても進まないときと、数時間で完成してしまうことがあります。面白いというより、不思議でなりません。この作詞のプロセスは「課題テーマに挑戦」の15年12月の第1回から16年2月の第4回までに記してあります。

この曲のDVDの中には、hanahanaさんから拝借した画像も入っております。hanahanaさんのご提案がなかったら、この曲は生まれませんでした。心から感謝致しております。

また、歌唱者は奥れなさんです。奥れなさんの歌唱力にはいつも感動しております。

霧降高原哀歌

北海道の菻茉さんからご提案の「トッカリショの伝説」が完成し、「さて次の課題テーマはどうしよう?」と考えていた時、偶然知人が「この前、息子と霧降高原に行って来たけどとても良かったよ。お蕎麦も美味しかったし。」と申しておりました。

私は、霧降高原のことは知りませんでしたので、是非一度行ってみたいと考え、数日後の8月末に出かけました。あいにく霧が酷く、視界が悪いため「天空回廊」を登るのを辞めました。レストハウスの近くを散策し、デジカメで数枚風景を撮り、初日は退散いたしました。

2回目の訪問は、9月の初めでした。霧はなく、「霧降の滝」も綺麗に見えました。また、「天空回廊」も駆け上がるようにして登りました。途中、休憩も兼ねて数枚の風景画像を撮りました。今回は、時間をかけゆっくり見て回りました。

霧降高原・・・なんと響きのよい名前でしょう!この高原の美しさの中で、私はこの高原の作詞は「儚い男女の恋物語」になるだろうと、その時思いました。

作詞はやはり、簡単ではありません。ストーリーを考えて言葉を並べても、字脚が合わない、また脈絡が不自然などと、なかなか思うように進みませんでした。紆余曲折のプロセスを経まして、昨年8月26日の第1回から始めて本年1月11日の第12回でやっと完成致しました。

作曲は竹見さとし先生、編曲は筧哲郎先生です。そして歌唱は、澄んだ美しい声で、その声には温かみもある綿引明美さんです。

私の拙い歌詞が、このように素晴らしい楽曲と生まれ変わることは、感動せずにはおられません。筧先生及び綿引さんに心から感謝申し上げます。

高知わたしの故郷

高知県のある方から、私のホームページの作詞教室に「高知県の作詞をして欲しい」とのメールが入りました。私は、高知県に関しましては、全くと言って良いほど知識がありませんでした。しかし、せっかくのお申し出ですのでチャレンジすることに致しました。私は還暦を過ぎていますが、1度も高知県を訪れたことがありません。ネットで、高知県の旧跡・名所を調べてみましたが、高知は名所・旧跡がとても多く、どういう作詞をしたら良いのか皆目見当がつきませんでした。

悩んだ末、私はフォトサイトの仲間で高知に詳しいArwen Erikoさんに相談しました。そうしましたら快く幾つかのご提案を下さいました。ご提案の中でも、Arwen Erikoさんのお勧めの安芸市になぜか心が惹かれました。とても長閑で風景も素晴らしかったからです。安芸市には、野良時計・安芸城跡・土居廓中などの名所があることも教えて下さいました。

ですが、高知県の作詞ですから、安芸市だけというわけにもいかず、また悩みました。高知県には有名な所や伝統などが数多くあります。四万十川・桂浜・足摺岬・室戸岬・よさこい祭りなど他にも沢山あります。全部を網羅することは不可能で、選ぶことはたいへん苦しい作業でした。

この作詞に、曲及び編曲をして下さいましたのは、作曲家の橋本理津子先生です。橋本先生は大阪で活躍されておられる方ですが、偶然私のホームページをご覧になりお声を掛けて下さいました。

この楽曲は、Arwen Erikoさん、そして橋本理津子先生のお力がなければ生まれませんでした。Arwen Erikoさん及び橋本理津子先生には、こころから感謝申し上げます。尚、このDVDには、Arwen Erikoさんの撮られた画像を何枚か拝借しております。

歌唱者は、綿引明美さんです。綿引さんの声はとても澄んで美しく、聴く方の心に強く響きます。素晴らしい歌唱力です。

ふるさと増毛

「増毛町」この町の名前を私は知りませんでした。教えて下さったのは、札幌市にお住いの北中昭さんです。北中さんからは、かつてニシンで栄えた「増毛町」の作詞をして欲しいとのご連絡を頂きました。

さっそく、ネットで町の歴史を調べました。漁業のこと・農業のこと・地理や観光など、一通り調べました。留萌本線の「増毛~留萌」間が昨年平成28年12月4日を持って廃止されたことも知りました。北中さんは、北海道の他の鉄道も今後廃止に追い込まれることをとても危ぐしておりました。

こうした状況から、「増毛町」の応援歌のつもりで作詞の作業を致しました。このプロセスは、今年の2月6日の第1回から5月6日の第17回までの「課題テーマに挑戦」にアップ致しております。随分長い時間を費やしました。 筧先生のお蔭で、素晴らしい曲になりました。また「奥れな」さんは、情感たっぷりに私の予想を超える、見事な歌唱をして下さいました。

札幌の北中さんも喜んでくださいました。北中さんの想いも共有できたようです。筧先生・奥れなさんには、感謝の一言です。有難うございました。

雪の比羅夫駅

この「雪の比羅夫駅」の作詞は先ず曲が出来ており、その曲に合わせて作詞を致しました。この作詞の前が、「ふるさと増毛」でしたので、今回も同じ北海道を題材に、それも駅名を作詞名にしようと考えました。それでネットから、北海道の鉄道と駅名を隅々まで見ていきました。また、その駅に近い観光地等も調べました。

沢山ある鉄道の中から「函館本線」を選び、且つ100位の駅名の中から「比羅夫駅」を最終的に決めました。その決定の理由は、駅の近くにある「半月湖」や「羊蹄山」の美しさに魅かれたからです。
この作詞は、この夏の7月9日から7月31日の第6回で完成いたしました。比羅夫駅というより、倶知安町の美しさを表現できたら嬉しいと思いますが、いかがでしょうか?

作曲はYOUTAさんで、歌唱は奥れなさんです。奥れなさんは、演歌も得意です。私は、この方の歌唱力を高く評価致しております。

銀盤の風

フォト仲間のkeiさんから、「銀盤の風」の作詞テーマを頂きました。輝く銀盤の上をリズミカルに、時には激しく、そして高く舞う姿をすぐ連想いたしました。
決してボクサーのような筋肉隆々という体格ではありませんが、演技に入ってからのその姿はすべてのアスリートと変わることはありません。いや、むしろ穏やかな表情からは推測できないような、強い意思と頑健な肉体を駆使して滑り続ける姿は神々しくさえ感じられます。

このテーマを頂いた時にある方を思い浮かべましたが、とても口にすることさえ憚られ、私の胸に閉まったまま作詞をすることに致しました。私には、アスリートの方たちの競技前や競技中の心や心理を推し量ることは出来ませんが、私自身が氷上にいるつもりで進めてまいりました。

歌唱者の奥れなさんは、氷上の雰囲気を見事に表現して下さいました。

少しでもアスリートの方の想いが、お聴きになられました皆様に伝わりましたらこれ以上の幸せはありません。

楢葉~天神岬~

福島原発の放射能の被害で、住民の方が避難指示を受けた楢葉町への応援歌です。福島で復興の仕事をする方から、15年9月にぜひ楢葉町の歌を作って欲しいとのメールが入り、翌月の10月半ばに訪問しました。

前月の9月に避難指示解除が出てから1ヶ月以上も経っていましたが、巡回中のお巡りさんのお話では戻られた住民の方は1割程度とのことでした。町の中は、殆ど人影はなく、新しい住居の庭には草が生い茂っておりました。

この私には、楢葉町の応援歌など創れる自信など毛頭ありませんでした。ですが、帰りたくとも帰れない人々に想いを馳せながら、何とか完成することが出来ました。この作詞のプロセスは、15年10月19日から11月26日までのブログに記してあります。

楢葉町の町の鳥はウグイスです。そして町の花は山百合です。それで、歌詞とDVDにそれぞれの画像を入れました。ウグイスの画像はgin-chanさんから、また山百合の画像は嘉藤恵さんから拝借いたしました。お二人とも、フォト仲間の方です。心からお礼申し上げます。

最後に一言付け加えさせて頂きます。歌唱者の春田圭子さんは、「楢葉町」に心を寄り添いながらの熱唱で、私はとても感動致しました。

哀愁の笛吹川

もう随分昔に、ラジオから「笛吹川」という川の名前が聞こえてきました。とても美しい川の名前だと思い、忘れることはありませんでした。

あの悲しい大震災を契機として作詞をするようになった私は、このホームページを立ち上げて最初の「課題テーマに挑戦」に「笛吹川」を選びました。どこを流れる川かも知らず、ネットでたくさんの情報を得ました。

作詞開始の15年4月の第1回から6月までの第14回でやっと完成致しました。多摩玉日記のたまちゃんから笛吹権三郎のお墓のある長慶寺の画像を、そしてフォト仲間のこゆきやさんから「いさわはしの笛吹権三郎」の画像を拝借致しました。

素晴らしい作曲・編曲の筧先生に、そして情感たっぷりの歌唱をして下さいました宝川ひろしさんに、心から感謝致しております。

ひとり雨晴海岸

私は、時々パソコンで日本地図を見ることがあります。その日は、何となく富山県の地図を見ておりました。そうしましたら、ふと「雨晴海岸」という地名が目に入りました。なんとも面白い名前だと思い、ネットで検索してみました。

そして驚きました。雨晴海岸から見た立山連峰が、美しすぎるのです。この美しさを偶然知った私は、ぜひ知らない人に教えてあげたくなりました。

この海岸に来るにはどうすれば良いか?この海岸の名所は何か?また季節のこと、海岸の砂の性質など、多くのことを調べ、作詞に取り掛かりました。

自分で知った風景の美しさや、人との暖かい絆など、人の心を癒すことを目的として作詞をすることはとても大切なことだと思っています。

それにしても春田圭子さんの歌唱力は見事です。

高山本線~渚駅~

この時もパソコンで地図を見ておりました。富山から岐阜に移り、高山辺りを見ていた時、ふと「渚駅」という駅名に気付きました。高地の高山に渚駅とは不思議な想いが致しました。

すぐネットで検索しました。渚という地名は、高山市の久々野町と長野県松本市の2か所にあることが分かりました。どちらも海とは全く縁のない所でした。

雪の高山線の画像・電車の時刻表、飛騨川の歴史や流れ、また季節の花など多くのことを調べました。この時は、不思議と歌詞が浮かんできましたが、推敲にはずいぶんと時間がかかりました。

歌入れが終わりユーチューブにアップした後、しばらくしてこの曲をお聴きになられた久々野町渚生まれの方からメールが入りました。いろいろな辛い事があったのでしょう。涙が止まらなかったと仰っていました。

高山本線渚駅のDVD画像には、「鉄路の果てに」さんから拝借しました画像が数枚挿入されております。こころから感謝申し上げます。

この曲の歌唱者も春田圭子さんです。素晴らしい表現力です。

夕日の二見ヶ浦

やはり私のホームページあて、福岡県の方から「福岡県の作詞をして欲しい」とのご提案を頂きました。もちろん承知致しましたが、私は北九州市に行ったことがあるくらいで、福岡県のことは殆ど無知でした。

ネットで福岡県の旧跡や名所を調べましたが、やはり沢山あり過ぎてただ迷うばかりでした。福岡県のフォト仲間の方に相談しましたところ、いくつかの旧跡・名所をご提示くださいました。その方の福岡県の画像を拝見させて頂きましたところ、「夕日の二見ヶ浦」がとても美しく私の心に響きました。それで、「夕日の二見ヶ浦」に決定した次第です。

「朝日の伊勢二見ヶ浦」に対し、桜井二見ヶ浦は「夕日の二見ヶ浦」としてとても有名だそうです。また、「日本の夕日100選」及び「日本の渚100選」に選ばれているとのことです。

この「夕日の二見ヶ浦」の作詞では、もちろん夕日と渚の美しさを表現することを最も重視したのは間違いありませんが、やはり作詞にはストーリーが大切です。特に意識した訳ではありませんが、ご主人に先立たれた奥様が、生前「桜井二見ヶ浦」を訪れたいと願っていたご主人に代わり訪問したという設定となりました。

「課題テーマに挑戦」での作詞のプロセスは、16年1月の第1回から第10回の3月までのブログに記してありますので、この作詞に興味がありましたら是非ご覧いただきたいと思います。

作曲・編曲は筧哲郎先生、歌唱者は春田圭子さんです。尚、このDVD画像の中には、花明かりさんから拝借したものが数枚あります。心から感謝申し上げます。

きっとあなたも素晴らしい歌詞を完成させましょう。そのためにわたし原科香月がお手伝いさせていただきます。

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