小鳥

ブログ

創作の小部屋「函館物語」第17回

2022年04月27日

 創作の小部屋「函館物語」第17回

今日のつくばの空は雨雲ですが、少し早朝よりも明るくなった気がします。午後からは、裏の僅かばかりの畑の草取りをしようと思います。

昨日、出掛けたついでに、雨が少し降っていましたが〖つくば植物園〗に寄って来ました。園内の広さは分かりませんが、入場口から植物園に向かう途中、この大木の間を通りました。この画像から、いかに広いかがお分かり頂けると思います。(上の画像です)

この画像は「熱帯資源植物温室」だったかと思いましたが、記憶が曖昧です。良くメキヒコの映画に出てくるような大きなサボテンを始め、沢山の植物が丁寧に管理されておりました。

別の棟に入るとランの花が咲いていました。このランの原産地はアジアの南東部だそうです。

この花もランです。原産地はミャンマーや中国南部だそうです。

このランの花は、インド・ミャンマー・タイが原産地とのことです。

どの花にもそれぞれ名前があるのですが、とても長い名前で書き記すのを省かせて頂きました。この「つくば植物園」は、一日かけても回り切れないかも知れません。駐車場の車のナンバープレートは県外のものが目立っていました。

  創作の小部屋「函館物語」第17回

第17章 真知子さんの親友との出会い

私は函館で真知子さんと別れて、既に半世紀近くが経った頃、東京のマンションを引き払い、函館に帰って来たのだった。函館の病院での勤務は短かったが、佐々木とは時々食事をしたりした仲だった。その佐々木に真知子さんのことを尋ねた。

佐々木は、真知子さんが定年まで独身で通し、その頃乳ガンが見つかり手術をすることもなく、暫くして亡くなったらしいと教えてくれた。真知子さんと私とのことを知らなかった佐々木は、感情の起伏のない世間話という風な感じで教えてくれたのだが、私が途中から涙声になり急に電話を切ったのを不思議に思っていたらしい。

実家では妹夫婦が跡を取っており、私は函館の大森に小さな戸建てのアパートを借りた。私が佐々木に電話してから暫く経った頃、今度は佐々木から電話があった。

「いつだったか、お前が内地から帰ってきて間もない頃、坂本真知子さんについて俺に電話をかけて来たことがあったよな。その時、彼女が亡くなったと話したら、急にお前は動揺して、すぐ電話を切った。俺は、きっと二人の間に何かあったのかと推測した。

驚いたことに、彼女が亡くなる寸前まで親交があったという人が偶然見つかったんで、お前が喜ぶかも知れないと思ったから電話したんだ」

私は、驚愕した。乳がんで亡くなったという事実だけでは、確かに私は辛かった。彼女が、私と青函連絡船の乗り場で別れた後、彼女はどう生きて来たのか?どうして独りで生きたのか?亡くなる間際のことなど、知りたいことが沢山あった。

「その人は、俺たちが働いた病院で、真知子さんと同期に入職した栄養課の吉田さんという人だ。彼女は栄養課長を最後に定年退職し、その後は市のボランティアの活動をしていて、今でも続けているらしい。

どうして彼女を知ったかというと、これが全く世間は狭いというやつなんだ。先日、従兄の法事があったんだが、その後の会食で五稜郭近くに住む従姉と世間話をしていたんだが、そしたら、お前が言っていた坂本さんと親しかったという友人を知っているという話になった。俺はびっくりした。

つまりこういうことだ。坂本真知子さんと親しかった吉田幸子さんは、俺たちがいた病院の栄養士だった。職員の数も多く、俺も覚えてはいなかったが、真知子さんと吉田さんは同期だったので、特に仲が良かったらしい。その吉田さんと俺の従姉は、その頃から生け花教室の仲間で、二人でよくお茶を飲んだり食事をしたりする間柄だったそうだ。それで世間話をしているうちに、坂本真知子さんの悲しい話を吉田さんから従姉は聞いたらしい。従姉は、真知子さんとお前の話を聞いて涙を流したそうだ。

とにかく、従姉から吉田さんに取り次いでもらうから、お前一度吉田さんに会ってみないか?もしかしたら色々真知子さんのことが分かるかも知れない!」

佐々木は、既に従姉から真知子さんと私のことを聞き、同情からか昔のよしみからか、この私のために尽力してくれているようだった。吉田さんとなるべく早めに合わせられるよう、従姉に頼んでみるという。

それから、2週間も過ぎただろうか?佐々木から電話があった。「来週の日曜日に、市電函館駅前に10時に待ち合わせということにしたが、大丈夫か?」という内容だった。佐々木は、お互い顔が判らないだろうから、彼女には白のハンドバックを下げてくるように頼んだということだった。話が済んだ後で、佐々木は不思議なことを聞いてきた。

「高橋、お前、確か一度も結婚したことがないって言っていたよな」

おかしなことを言うやつだと思った。

「残念だが、そのとおりだ」

私の返事に何故か安堵したようだった。

次の週の日曜日、市電の待ち合わせ場所に着いた私は、昔、ここで真知子さんと待ち合わせをしようとしたが、真知子さんは現れず、真知子さんのお母さんが来たことを思い出した。

「あの頃に戻れたら・・・・」

暫くすると、確かに白いハンドバックを下げた白髪交じりの女性が近づいてくるのが見えた。私から、声をかけた。

「吉田さんですか?高橋です。今日は、お忙しいところ、申し訳ありません。本当にありがとうございます」

そういうと、吉田さんは私の顔をまじまじと見つめて言った。

「今日は、真知子さんへ大きな喜びを差し上げられる日となります」

私は、吉田さんの言っている意味が分からないまま、近くの茶店に吉田さんを案内した。

席に着くと吉田さんは、バックを開けて分厚い封筒を取り出した。白かった封筒が薄茶色を帯びている。驚いたことに、その封筒のあて名は私だった。

「その手紙は、私宛てになっていますが、どういうことですか?」

吉田さんは、私が若干興奮しているのを感じたようだ。

「今日は、私は特に用事はありませんので、時間はたくさんあります」

私はコーヒーを二つ頼んだ。今度は、吉田さんは待ち切れないというふうに言った。

「今日は、この私にとっても、とても嬉しい日です。真知子さんとの約束を、良い意味で果たせたのですから」

私は、吉田さんの言う意味がさっぱり分からず、狼狽しながら言った。

「吉田さん、先ほどから私には吉田さんの言っている意味が分からず混乱しています。私は、真知子さんのことが知りたくて、今日、こうしてお会いしているのです。もちろん、吉田さんの貴重な時間を頂いて申し訳なく思っておりますが」

吉田さんは、大きな目を私に真っすぐ向けながら言った。

「この手紙は、坂本真知子さんが高橋さんあてに書いたものです。手紙の中身は知りません。でも、真知子さんはガンで衰弱した身体に鞭打ち、渾身の力を込めて高橋さんのためにしたためた手紙です。

当時は、ガンの病名告知はありませんでしたが、真知子さんはナース室での担当医師と看護婦の会話で偶然にも知ってしまったのです。悲しいことにガンは進行していて手術が出来ないということも知ってしまいました。

それから数か月のうちに、真知子さんはすっかり体力を失くし、若い日の真っ白な肌と大きな瞳は見る影もなくなりました。彼女は自身の命がそう長くないと悟ったある日、見舞いに訪れた私に一通の手紙を託したのです。それが、この手紙です。

高橋さんに読んでもらえることが彼女の命を懸けた願いだと分かりました。今日、その願いが叶えられるのだと思うと、私も今夜から安心して眠れます。そして、いつか真知子さんの傍に行っても笑顔で会うことが出来ます。

この手紙を私に託すとき、真知子さんは言いました。『決して、吉田さんから晴彦さんを探すというようなことはしないで欲しい。もし高橋さんから連絡があった時だけ渡して欲しい』とのことでした。それでは連絡がなかった場合はと聞きますと『その時は燃やして欲しい』と言いました。

私は、彼女の必死の形相に、それ以上何も言わずに受け取りました。私も、古希を過ぎた身、この手紙がいつも気になっておりました。このまま高橋さんにお渡しできずに、将来真知子さんの世界に行ったとしたら、何と言い訳をしたら良いのかと、そればかりが気がかりでした」

私は吉田さんと別れる前に、住所と電話番号を教えて貰った。吉田さんは「ようやくの肩の荷が降りました」と言って、私に深々とお辞儀をして別れた。真知子さんの手紙を手提げカバンに入れ、私は吉田さんの後姿に深く頭を下げ、姿が見えなくなるまで見送った。   つづく       

原料香月の作詞の小部屋 お問い合わせ


ブログカテゴリー

月別アーカイブ

ページトップへ