創作の小部屋「函館物語」最終回
2022年05月02日
創作の小部屋「函館物語」最終回
「函館物語」も今回が最終回となります。1月22日から始めて3か月以上の月日が流れました。この間に、とっても辛く悲しい出来事が起こり、世界中を震撼させました。それはロシアのウクライナ侵攻です。まだ終息の兆しも見えません。
アメリカ及び西欧諸国の武器の供与は、ウクライナの人々を長く苦しめ、更に多くの犠牲者が増えることにしかならないかと危惧します。また罪のない双方の兵士のたくさんの命がよけい失われるのではと心が痛みます。
何とか人類の英知を結集して一日も早い終結を望みます。そして、この戦争の犯罪者が厳しく罰せられることを望みます。戦争をすることがいかに馬鹿げているかを、いかに自国を不幸にするかを、幾つかの国の独裁者に知らしめる必要があるからです。
長くなりましたが、話題を変えて先日の「フラワーパーク」での画像を数枚アップしたいと思います。
ハイビスカスの花でしょうか?鮮やかな赤です。
建物の中の売店で見つけたのバラの花です。
バラの花だと思いますが、種類は分かりません。
何気なく咲いているような芝桜ですが、通る人の心を和ませます。
創作の小部屋「函館物語」最終回
最終回 真知子さんのお墓参り
私は、お花とお線香を持って真知子さんのお墓に向かった。お墓は津軽海峡が見下ろせる函館山の麓にあり、いつか二人で行った立待岬の近くだった。
お寺の名前と場所は吉田さんから聞いていた。境内には入ってみたもののお墓の場所が分からない。住職の住居だと思われる建物の玄関のインターフォンを押した。
「こんにちは。ご免ください」
中から、「はい、ただいま」という声がして、住職の奥様と思しき年配の女性が出てきた。
「申し訳ありません。五稜郭の坂本建設の家のお墓参りに来たのですが、お墓の場所が分かりません。教えて頂けませんでしょうか?」
私がお願いすると、女性は笑顔で丁寧に教えてくれた。女性の言う通りにコンクリートの通路の突き当りを右に曲がって、少し進むと辺りの墓石より一回り大きなお墓が目に入った。確かに坂本家代々の墓と記されている。墓石は掃除がなされたばかりなのかきれいだった。少し先の方に水汲み場があった。沢山の桶も用意されていた。私は手桶に水を汲み、彼女の墓の前にゆっくり進み出た。
線香に火を点け手向けた後、菊とユリの花束を供え、墓石に水をかけた。私は合掌した。
「真知子さん、こんにちは。遅くなっちゃってごめん。僕は真知子さんに出会い、短かったけれど青春を謳歌することが出来たよ。その思い出だけで、本当に幸せな人生だったよ。ありがとう!
真知子さん、僕はもう古希を過ぎたよ。あと何年寿命があるか分からないけど、いつか真知子さんと逢う時も20代前半のままだね。青函連絡船で別れた時から逢っていないからね。お互い覚えているのはあの頃の姿だからね!」
真知子さんに話かけていると、後ろに人の気配がした。振り返ると住職だった。
「お墓参り、ご苦労様です。大変失礼ですが、今日お参りされたのは、どなたの供養ですか?」
私は立ち上がり、坂本真知子さんの供養に来ました、とそれだけを言った。すると住職は記憶を呼び戻すかのような表情をした後、私の目を見ながら言った。
「もう10年近くなると思うが、娘の真知子さんが病で亡くなられた後、葬儀が済んでもご夫婦揃って、毎日のようにお線香を上げに見えられていましたよ。私が、仏さんもさぞ喜んでいることでしょうと言うと、お父さんは涙を流しながら、私にこう言いました。
『私は、娘が若い頃、親のくせに娘にとても酷いことをしてしまいました。娘が心から好きになった男の人と無理やり別れさせてしまったのです。それから、いくら縁談を勧めても生涯、娘は首を縦には振りませんでした。
あの時、二人を一緒にさせていたら、米寿を迎えようとしているこの齢になってまで苦しまずに済んだものを!私は、二人の若い者の幸せを奪った愚かな、罪深い人間です』
と、こう言ったのです。私は、坂本さんに言いました。
『娘さんは、決してご両親を恨んだりはしておりません。娘さんは、ご夫婦に大切に育てられて、一緒に生きられてとても喜んでおられますよ。別れた男の方も決してあなた方ご夫婦を恨んだりしていないと思います』
こう言うと奥様とふたり、私に深々と頭を下げられました。ですが、それから一年も経たないうちに、ご主人と奥様は後を追うように亡くなられました。ところで、あのう、大変失礼ですが、もしかしてあなたは、真知子さんとお付き合いをされていた方ですか?」
私は一瞬返事に困ったが、そうですと答えた。
「やはりそうでしたか。真知子さんも喜ばれておられると思いますが、真知子さんのご両親もきっと喜んでいると思いますよ。もし出来ましたら一言ご挨拶をいただけたら、お二人ともきっと胸のつかえが取れると思うのですが」
住職の思いがけない言葉に、私は真知子さんのご両親に挨拶していなかったことに気付いた。私は住職にお礼を言って、もう一度真知子さんのお墓の前にひざまずいた。
「真知子さんのお父さん、初めまして。高橋晴彦と申します。お母さんには2度ほどお会いし、夕飯をご馳走になったり、本当にお世話になりました。真知子さんとは一緒になれませんでしたが、私は少しもお二人を憎んだりしたことはありません。ですからご安心下さい。真知子さんを産んで頂いて、そして大切に育てて頂き有難うございました。現世では真知子さんとは結ばれませんでしたが、来世ではきっと一緒にさせて下さいね」
そこまで言ってから、また続けた。
「真知子さん、もうこれで大丈夫だね。何も心配することはないね。また直ぐお墓参りに来るからね」
私の心は清々しさで溢れていた。ふと空を見上げると夕焼けで西の空が真っ赤だった。 おわり
〖あとがき〗
長い間お読みいただき有難うございました。心から感謝申し上げます。
この「函館物語」を書く前は大雑把な構想はありましたが、各章ともパソコンの前に座ってからは指の勝手な動きに任せました。ですので、とても脈絡と整合性に不安を抱き、途中、読み返しながらということがしょっちゅうでした。そして実際に誤りが何ヶ所かあり、恥ずかしいのですが修正させて頂きました。
あるプロの作家の方は、推敲を100回くらいなさるそうです。私は書き終えた後5~6回推敲してアップしてしまいますので、いつも後から読み返すと修正すべき所が何ヶ所も出て来ます。書いているときはその世界にのめり込み、感情が高ぶっていますので、冷却期間を4~5日おいて何度か推敲されることをお勧めします。出来れば、もっと長い方が理想です。
次回から、そろそろ、このホームページの目的の「作詞教室」に一旦戻ろうと思います。そして夢であるもう一つのテーマ「霞ケ浦物語」も、いつか書き始められたらと思っています。