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課題テーマに挑戦「鳥海山」第28回

2017年12月24日

 課題テーマに挑戦「鳥海山」第28回

この「原科香月の作詞の小部屋」は、歌が大好きで作詞を始めてみたいという方のための「作詞教室」です。

私は、秋田県のアップルスターさんから頂いた課題テーマ「鳥海山」の作詞を始めるに当たって、物語を創作しその物語のテーマソングとしての作詞をしようと考えました。しかし物語が長くなり、作詞教室とはかけ離れた「文芸教室」のようになってしまいました。申し訳ありません。

前にも書きましたが、北海道の菻茉さんご提案の室蘭の「トッカリショ」の作詞をする時にもこの手法を用いました。今回も、同じように進めるつもりでした。パソコンに向かって、浮かんで来ることばをどんどん打ち込んでいきました。でも書いても書いても、クライマックスには辿り着かないままに、このように長くなってしまいました。

クライマックスの内容だけは決めているのですが、そこに辿り着かないのです。私は物書きではありませんが、整合性も問われますので情報取集や脈絡等考慮しながら進めています。そのせいばかりではなく、ここに来て筆の進みが大分遅くなりました。

ですが、この「鳥海山物語」も7合目まで来ています。何とか、クライマックスに向けて頑張りたいと考えています。

この「原科香月の作詞の小部屋」をご覧の方には大変申し訳ありませんが、もう少しお付き合いをお願い致します。今年中には、作詞に入りたいと思っています。

 鳥海山物語

終 章(2回目)  昭和51年7月初め

料理屋に揃った5人は皆、由美子と信彦の婚礼に積極的でした。

先ず信彦の叔父がふみ子に向って言葉を発しました。

「信彦は、由美子さんを見合いの席で、いっぺんに好きになってしまったらしい。見合いの日、由美子さんたちと別れてから、あんな人が自分の嫁になってくれたら、こんな幸せなことはないと、何度も言っていましたよ!」

ふみ子はとても嬉しそうな表情をして聞いていましたが、今度は信彦の両親にしみじみ話しかけました。

「由美子は、幼い時に父親に死なれ、とても貧しい生活をして来ました。中学3年の時、由美子の担任の先生が由美子は成績が良いからどうしても高校に行かせてやって欲しいと家を訪れ、何度も頭を下げてくれました。でも結局、由美子には可哀そうな想いをさせてしまいました。親として不憫でしたが、今回信彦さんのような方と祝言を挙げさせて頂けましたら、亡くなった主人にも胸を張って報告できます。どうか、この縁談がまとまります様、どうかどうかよろしくお願いいたしますう。」

ふみ子は途中から感極まったという表情で、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにさせ、手さげカバンの中から急いでハンカチを出して拭いました。

信彦の父親の太門が、穏やかな笑みを浮かべてふみ子に話しかけました。

「由美子さんのお母さん、由美子さんをここまで育てるために、大変なご苦労をされたことと思います。その由美子さんを信彦のお嫁さんとして頂けることは、とても有難くどんなに感謝しても足りません。私も、妻の里子も由美子さんを自分の娘と思って大切にさせて頂きます。こちらこそ何卒よろしくお願いいたします。」

今度は総一郎の叔父が顔を紅潮させて、少し大きな声で話しました。

「由美子さんと信彦の縁談に両家が喜んでいるのだから、こういうお目出度い話しは急いだ方がいいと思う。どうでしょう?結納は、来月8月10日大安の日ということで。そして祝言は、親戚の者たちの都合もありますので、稲刈りなどの農繁期に入る前の9月の半ばということで如何でしょう?」

この信彦の叔父の提案に一同意義を唱える者はなく、一様に頷きました。今度は信彦の母の智恵子が口を開きました。

「信彦の新居の完成も、急げば今年中に何とかなるでしょう。その間は役所の近くにあるアパートを借りてもいいし、今の家の部屋も余っているから一緒に住んでも構わない。まあ、それは当人同士に決めて貰えば良い話ですが。あっ、そうだ!そういえば、信彦の誕生日は9月の15日ですから、婚礼も同じ日にしたら当人も喜ぶと思いますが、いかがでしょう?」

こうして由美子と信彦の婚礼は、二人が不在のまま着実に進んでいくのでした。       つづく

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