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課題テーマに挑戦「銚子港」第8回

2023年05月15日

 課題テーマに挑戦「銚子港」第8回

本日5月の15日のつくばは、朝5時現在雨は降っておりませんが、空はどんよりとした雲に覆われています。

もうつくばでは、田植えは殆んど植え終わっています。アイキャッチ画像は、筑波山を背景に、田植えの済んだ田んぼの画像です。桜の花の季節はとうの昔に終わり、爽やかな新緑が目に眩しい季節となりました。

4月末の平日に、石岡市にある「フラワーパーク」に一人で行って来ました。少し遅くなりましたが、その時の画像をご覧頂きたいと思います。

入場口を入り、建物の2階から眺めた藤と池の風景です。

池の近くには、見事なツツジが咲いておりました。

大きな藤の花が垂れ下がり、ひと際美しい風景となりました。

満開のツツジの向こう側には藤の花が咲き誇っています。

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藤の花の棚はずっと奥まで続いています

別の位置から見ると、藤棚の長さが良く分かります。

ツツジと藤のコラボレーションです。

この公園に少し高い見晴らし台があります。長閑な風景です。

 物語  思い出の銚子電鉄外川駅(第1話)

遠い昔の悲しい思い出を、いくら歳月を重ねても忘れられない、そんな方もおられるのでないかと思う。私もそういう過去を持つ三十代前半の独り者だ。名を宮内翔太という。

私は都内のある繁華街に店を構えた不動産屋で働いていた。東京は、私の生まれ故郷の銚子などとは比べようもないのだけれど、土地や建物の価格が、私のような田舎者には信じられないほどの高額だ。

叔父の経営する僅か数名の社員の会社でさえも、バブル崩壊後には手痛い洗礼を受けたらしい。だが「地道にコツコツ」を経営方針とする叔父は、欲をかかず銀行から借りてまで自社物件を持たなかったため、他社と比べると遥かに犠牲は少なかったようだ。当時、銀行は競うように「私どものお金を事業拡大に使ってください!」と頭を下げて頼みに来ていたという。

叔父は賢明な社長だと私は思った。

叔父と甥いう関係よりも息子のように経営の仕方、人としての生き方などを、叔父は丁寧に私に教えてくれた。

だが、私はこんな叔父を裏切るように、この不動産会社を退職した。私が叔父に「会社を辞めて、田舎に帰り、漁師をしたい」と切り出すと叔父は、驚いたような顔で言った。

「翔太、本気なのか?お前も分かってくれていたと思うが、子供のいない俺は、いずれお前にこの会社を譲ろうと考えていた。だから、今までの経験から培ったことや、この世界で生きて行くためのノウハウをすべてお前に注ぎ込んできたつもりだ。もちろん、まだまだ教えなければならないことは山ほどあるんだが」

叔父のおびえるような、そして悲しそうな表情に、私は一瞬考えを翻そうとしたが、若き日のある女性との楽しかった日々や、そして最後の別れになった愛惜のシーンが私の脳裏を駆け巡り、私はただ黙ったままで俯いていた。

もう十数年前のことだ。

忘れようとしてもあの人が、今でも私の心を離れない。

彼女の名は鈴木美咲という。同じ高校の新聞部の仲間で、2年生になる少し前ごろから急に親しくなった。私は彼女を美咲ちゃんと呼び、彼女は私を翔ちゃんと呼んだ。

私と美咲ちゃんは、何回目だったか外川漁港でデートをした。彼女は銚子駅からバスで10分位の所に、両親と二人の弟と住んでいる。外川漁港でデートをするときは、銚子電鉄外川駅まで私がいつも迎えに行った。

その日は午前10時過ぎに、外川駅で待ち合わせていた。外川駅は木造の古い小さな駅だが、とても風情のある駅舎だ。地元の私も、この駅舎が気に入っている。

その日は、駅の構内にある河津桜が満開だった。駅の改札から出てきた美咲ちゃんは、その河津桜に近寄り、花びらに顔を近づけた。

「私も日本人だから、どんな種類の桜でも大好き。美しく見事に咲いて、パッと散る。そんな儚くも潔さが、きっと日本人は好きなのね」

白い歯がこぼれるような満面の笑みだ。美咲ちゃんの頬も河津桜のように淡いピンクに染まっている。その腕に二つのバックを抱えていたので、その大きい方を私は受け取った。

 

二人は手をつないで歩いた。外川漁港までは、なだらかな下り坂になっていて、漁港や太平洋が船宿や家々の隙間から覗いている。レトロな感じで、立ち止まってみると、その景色はまるで一枚の絵画のようだ。

 

「私、今日は早起きをして、お弁当を作ってきたのよ。私特製の『愛の翔ちゃん弁当!』偉いでしょ?」

美咲ちゃんは、私に向かって片目を瞑ってウインクをしながら言った。そのお茶目な姿が可愛かった。漁港の辺りを散策し、それから犬岩に向かった。この犬岩の謂れは次のようだ。

= 犬岩は、義経一行が奥州へ落ち延びて行く折、海岸に残された愛犬の若丸が主君を慕って七日七晩鳴き続け、八日目に犬の形をした大岩が現れ、地域の人々がこの巨岩を”犬岩”と名付けたといわれています。”犬吠埼”の地名も、若丸の吠える声が聞こえてきたことに由来するとのことです。

                                                                                               (来福@参道より引用)

 

「うわ~ 本当に犬に見えるわね。源義経の愛犬若丸が犬になったという伝説の岩ね。私、感動しちゃったわ」

外川漁港から歩いても僅かの距離にあるこの犬岩を二人で見るのは、不思議なことに初めてだった。美咲ちゃんは、はしゃいでいた。というより、いつもの美咲ちゃんと言った方が正しいかも知れない。いつも明るく、笑顔が可愛いい。

犬岩を見てから、また漁港に戻った。時間はもう直ぐお昼に近い。

「ねえ、この辺で私の作ったお弁当を食べない?」

美咲ちゃんは辺りを見渡し、ちょうど二人が座れる平らな場所を指さした。そこは、直ぐ近くに真っ白い漁船が浮かんでいて、漁港の何か倉庫のような小屋の直ぐ近くだった。

 

「あそこなら、船も青空も綺麗に見えるでしょ!」

私の手を引いて、さっさとその場所に向かう。そして、私が持っていたバックの中からシートを取り出し、広げようとした。私は慌てて手伝った。

美咲ちゃんは、竹で編んだ弁当箱を自慢そうに開けた。中には、おむすびと鶏のから揚げや色とりどりの野菜が上手に区分けされて入っていた。美咲ちゃんが、おしぼりをくれたので、私は丁寧に手を拭い、海苔で包まれたおにぎりを掴み、大きな口を開けて頬張った。鮭のおむすびだった。塩加減がちょうど良かった。

「美咲ちゃん、美味しいよ!このおにぎり!」

私は、唇に海苔を付けたまま叫ぶように言った。

「ありがとう。唐揚げも食べてね。それからブロッコリーも。今日は、たくさん作ってきたから、残さず食べてね!翔ちゃん、口に海苔が付いているわよ。慌てないで、ゆっくり食べてね」

美咲ちゃんは、おにぎりを両手で持って食べている。その仕草がとても愛おしく思えた。

私は、遠慮せずに食べたので、美咲ちゃんの言うようにきれいに残さず食べてしまった。美咲ちゃんは、私の半分も食べてはいなかった。

「良かった!今朝お母さんに『いくら何でもおにぎりも唐揚げも多すぎるわよ。翔ちゃん、お腹壊してしまうわよ!』と言われて来たけど、ぜ~んぶ食べてくれてありがとう!お母さんに自慢できるわ。私の作ったお弁当、翔ちゃんは美味しい美味しいと何度も言いながら、きれいに食べてくれたって!」

美咲ちゃんは、嬉しそうに片付けをしている。私は、ただ膨れたお腹をさすっていた。

美咲ちゃんのお母さんも、二人の交際を認めてくれていた。

こうして美咲ちゃんとのデートは、いつも楽しく時間が瞬く間に過ぎるのだった。

だが、この美咲ちゃんは東京の大学に進学する予定で、私は兄が一人でしている家業のキンメダイの漁師になるつもりでいた。脳梗塞を患い現役を退いた父も、私が外川漁港で伝統のキンメダイ漁の漁師になることを望んでいた。

私は幼いころから兄と一緒に父の船に乗せて貰い、キンメダイ漁をする父を見てきた。真っ赤な良く肥えたキンメダイを次々に釣り上げる父が、とても輝いて見えた。誇らしかった。いつか、父を超えるキンメダイ漁の漁師になって見せると憧れるようになっていった。

私には、美咲ちゃんとの楽しい日々は、例え進路は違っても、未来永劫続くと信じていた。美咲ちゃんも同じだ。

楽しいデートの時間も瞬く間に過ぎ、私が銚子電鉄外川駅まで送っていく途中私がつい、つまらないことを言った。

「美咲ちゃんが東京の大学に行ったら、あんまり逢えなくなっちゃうよね。何だか淋しくなっちゃうな」

すかさず美咲ちゃんは、私の目を見ながら大きな声で言った。

「何よ!翔ちゃん、私が東京の大学に行ったからって、今と何も変わらないわよ!それに、来年の話よ。まだまだ先の話じゃない」

それでも、私は何故か一抹の不安をぬぐい切れなかった。

そして、その不安が数年後、まさか現実のものになろうとは、美咲ちゃんの笑顔からは想像すら出来なかった。                つづく                        

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