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創作の小部屋「独居老人のひとり言」第14回

2019年04月14日

 「独居老人のひとり言」第14回

上の画像は、小山市を流れる思川の乙女河岸近くの堤から昨日撮ったものです。右端の中ほどに日光連山の男体山が雪に輝いています。画面をクリックして大画面でご覧くださいませ。

「独居老人のひとり言」ですが、主人公が回想しながらの物語の進め方ですので、少し読みづらいかも知れません。ご容赦ください。

  「独居老人のひとり言」第14回

13章 人はいつまで働くべきか

あれは確か平成20年頃だったろうか?日本人の看護師や介護師が不足し、インドネシアやフィリピンの人たちの受け入れを開始したという記事を目にしたのは。外国の人たちから日本人の看護や介護をして頂くことは、とても有難いことだと、私は新聞を読みながら思った。ただ、日本語の漢字が難しく、資格試験の合格率は1割程度だったかと記憶している。

そんな折、ある病院が「准看護師学校」の学生を応募していることを知人から聞いた。「准看護学校」という学校があり、病院で助手をしながら「准看護師」の資格を取らせてくれるという話らしい。知人の奥さんがその病院で働いていて、病院の職員があちこちに声を掛けているらしかった。中卒でも可能という。

私は中学を卒業してから、ゴム製品の工場で昼夜交代の仕事で働き尽くめだったこともあり、定年後は別な仕事がしてみたいと考えていた。そのせいもあって、私は、この「准看護師」の資格に大きな興味を覚えた。私が58歳になる少し前のことである。

私はさっそく、その病院に電話をした。電話に出た事務の女の人は、「お孫さんが、お入りになりたいのですね」とだけ言って、私の名前と住所を聞いた。資料をすぐ送ってくれるらしい。

送られた書類に目を通した。妻が笑って「何年も働かないうちに、自分が看護される方にならないでね」と言ったが、反対はしなかった。私は、真剣だった。

准看護学校で2年間勉強をし、「准看護師」の国家試験を受け、合格すると晴れて病院や施設等で働くことが出来るらしい。ただ、やはり経験がないと不安なので、老人施設などで働くには経験を経てからが望ましいと、当たり前の説明まで記載されていた。

58歳の私が2年間勉強して資格が得られるのはちょうど60歳、還暦の年だ。第2の人生をしっかりと生きるつもりだ。履歴書などの書類一式を送ると共に、便箋に思いの丈を記して同封した。

果たして、投函して10日位経ったころに病院から封筒が届いた。工場から帰ると郵便受けに、ここ数日真っ先に走っていた私は、興奮し少し震える指で封筒を開けた。

初めに応募への感謝のことばが記してあり、希望に添えず申し訳ないという内容で、あなた様の熱意は確かに届きましたと付け加えられていた。最後に、より一層のご活躍をお祈り申し上げますと、不採用の通知には欠かせないであろう文字もしたためられていた。

私は真剣だった故に、とても悲しかった。

ちょうどその日、平成20年11月16日(日)某新聞の朝刊に次のような投書が載っていた。「老人の自立促す」というタイトルで、佐世保市の浦川潔さんという76歳からのものだった。

-老人の自立促す-

「我が国は、70歳以上が2800万人を超し、超高齢者社会に突入した。そんな中、4月に始まった後期高齢者医療制度には、不満や反発が根強い。

老人の医療費を減らすのではなく、『私は自立するんだ』という強い精神力を持った老人を増やすような啓発運動が必要だろう。65歳から介護保険制度を利用する権利ができたと考えるようではいけない。

働く意欲と能力のある高齢者が社会の支え手として活躍できるような体制作りが急務だ。そのためには、年齢を基準とせず、働く意欲に応えられる生涯現役社会を作らねばならない。」

私と全く同じことを考えている人がいることを知り、私は優秀な「准看護師」になって見せると、今朝は発奮していたのだった。

人生は思うようにはならない。しかし、こうした声を上げ続けなければ、いつまで経っても何も変わらない。ただ、まだ時期が早いのか?

落ち込んだ私は、定年まで今の工場で働くことを妻に告げたのだった。     つづく

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