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創作の小部屋「独居老人のひとり言」第22回

2019年05月04日

 「独居老人のひとり言」第22回

ここつくばでは、田植えが始まりました。ゴールデンウィークも残り2日となってしまいました。私は特に遠出はしませんでしたが、昨日は義母の米寿のお祝いをイタリア料理店で行いました。こども・孫・ひ孫の合計16人でのお祝いでした。

「独居老人のひとり言」は、あと2~3回で終わりにしたいと思っています。ですが、また勝手に歩き出すかも知れませんので、お約束は出来ません。

  「独居老人のひとり言」第22回

21章 恋心の驚きの進展

第1回目の「なのはな会」は大成功だった。加藤さんが「高齢者の食事における低栄養とエネルギー摂取量不足の弊害」を1番に話してくれたので、「なのはな会」全員が勉強会に気合が入ったからだ。しかし、調理終了後に仲間で楽しく作った料理を、和気あいあいと食べるのは本当に美味しかった。いつも一人で作る料理とは、およそかけ離れた素晴らしい献立であり味であった。誰かが嬉しそうに言った。

「次回の『なのはな会』が待ち遠しいね。今日貰ったレシピは、バインダーに挟んで台所で保存するよ。それに忘れないうちに、明日にでも、もう1回作ってみるよ」

「なのはな会」の勉強会の後片づけも済み、私は全員と挨拶をして家に帰った。帰るとさっそく仏壇の妻に今日の報告をした。そのとき、妻が微笑んでいるような気がした。どうして妻が喜んでいるのか考えてみた。私は、ハッと気が付いた。

変わったのだ。「なのはな会」の誕生の頃から、私には生きる力が出て来た。生きる張り合いが湧いて来た。以前、派遣の仕事も含めて、生きて行くことに自信を持てなくなっていた。働こうにも派遣会社も派遣元も、私を決して人格のある人間というよりも、単に仕事量から割り出した頭数としか見てくれない疎外感に苦しんだ。また知力も財力もないこんな自分に、生きて行くことに意味があるのかと真剣に悩んだ。

今はどうだ。「なのはな会」という小さな会だが、私は会長になって、少しでも会員のお役に立とうと頑張っている。いつの間にか、それが生きがいになって、生きる張り合いになっている。別に有名になった訳でもないし、お金持ちになった訳でもない。それでも、生きることが楽しくなってきた。

生きるために仕方なく呑み込んでいた食事が、楽しいものになってきた。いや食事自体よりも、作ることが楽しくなってきた。

先日の話に戻るが、「なのはな会」の勉強会の後反省会をし、大川さんが今回の勉強会で足りなかった調味料や使い捨ての食器などを購入したいと申し出た。私や会計の大野さんを始め、全員意義はなく、大野さんから2千円を大川さんが受け取った。

駐車場で、私は大川さんに聞いた。

「私、時間がありますから、ご一緒しましょうか?」

大川さんは「ぜひお願いします。今日は、少し遠いお店まで行きますので、1台の車で行きましょうか?」と言った。

公民館の邪魔にならない場所に大川さんの車を駐車し、私の車で行くことにした。大川さんはいつもの笑顔で私の車に乗った。大川さんが道案内をしてくれ、目的のお店まで20分くらい走った。私は緊張していた。妻に似ている、そしていつも私に笑顔を向けてくれるこの人に、私は好感を持っていた。だが、なぜこんなに緊張するのか、私にも分からなかった。

それからしばらくしたある日、私は自宅でレシピを見ながら昼食を作ったがどうも不味い。ちゃんとレシピ通りに作ったつもりだったが、食べられるものではなかった。再度作り直してみたが、やはり不味かった。こういう時、最近の私は大川さんに相談することが多くなった。大川さんから都合の悪い曜日や時間帯は予め聞いていたので、もちろんその時は避ける。

大川さんに電話すると、「もし宜しければご自宅に伺って私が作ってみましょうか?」と言う。私は一瞬動揺したが、ぜひお願いしますと答えた。20分程してから大川さんは我が家の玄関のチャイムを鳴らした。

最近の私は、新聞や雑誌などを見るときは老眼鏡をかけている。しかし料理をするときは、メガネが曇ってしまうことがあるのでかけていなかった。大川さんがレシピの合わせ調味料の作り方を私に尋ねた。私に間違いはないという自信を持って、私は何度も作ったそのやり方を話した。

「小松さん、一つ大事なことを忘れています。この『豚肉とキャベツのさっと煮』のレシピは二人分のものです。小松さんは一人分の食材なのに、合わせ調味料は二人分の量です。これでは味が濃すぎます」

私はびっくりした。考えてみると、確かにその通りだった。大川さんの指導でも一度作り直して、小皿で味を見ると美味しかった。二つ目の「れんこんとにんじんの甘酢漬」は、初めから大川さんに作ってもらった。パソコンで下調べはしておいたのだが、どうも自信がなかった。

二人で少し遅い昼食となった。やはり、女性には料理については適わないと思った。

「小松さん、女性でも初めての料理は自信などありませんよ。一度作れば反省点が必ずあります。2回目はそこを注意すれば良いだけの話しで、男性だって大丈夫ですよ。プロのコックさんに男の人が多いのは、反対に男の人の方が料理に向いているのではないでしょうか?」

なるほどとまた感心してしまった。ここで私は大川さんの息子さんのことが心配になった。私のせいで、息子さんが昼ご飯を食べられないでいるのではと心配になった。しかしその心配は杞憂だった。大川さんは、出がけに息子さんの食事は用意して来たらしい。今日は、時間の心配はありませんと笑顔で言った。

使いこなした古いソファーで、私と大川さんは昼食後のコーヒーを飲んでいた。こうして二人で面と向かって相対するのはもちろん初めてだった。世間のありふれた特に意味のない会話をしていたその時、急に大川さんが話題を変えた。

「これからの日本人は、癌になる人が2人にひとりだそうです。そうすると私も癌になる可能性が高いですよね。私癌にはかかりたくないんです」

大川さんがひどく心配そうに言ったので、私は何とか気分を変えてあげようと思った。

「癌にかかる割合は高いかも知れませんが、大川さんがそうなるとは決まったことではないので、余り心配してもしょうがないと思いますけど。また、術後の5年生存率も大分伸びたそうですよ。

ああそうだ。以前、ショッピングセンターの書店で買った癌に関する本を何冊か持っています。妻が亡くなってから買った本です。もっと早く読んでおけば良かったと思いました。柳田邦夫という人が書いた本で、3冊位ありますからお貸しします。持って帰って、時間があるとき少しずつ読んでみて下さい。もう随分前に書かれた本ですが、基本はしっかりいていますので、勉強になると思います」

私はソファーの後ろの本棚から柳田邦夫氏の「死の医学への序章」「死の医学の日記」「癌回廊の明日」、この三冊を取り出そうとした。大川さんに触れないよう少し無理な体勢から体を伸ばした私は、あろうことか大川さんの体へと倒れ込んでしまった。

外は雨が降っており、部屋のカーテンは閉めたままだった。

大川さんは驚かなかった。私が「ごめんなさい」と慌てて立ち上がろうとすると、大川さんは「少しの間このままでいて下さい」と私の肩に腕を回して言った。私の顔と大川さんの顔は何センチも離れてはいない。そう言うと大川さんは眼を閉じた。

私には今の状況が理解できなかった。ただ、大川さんが私に対して好意を持っていてくれたことは確かのようだ。私の顔の前には目を閉じた大川さんの顔があり、唇があった。私はその時妻を忘れ、彼女の唇に自分の唇を重ねた。

暫くそうしていた。だが、私は妻以外の人を知らないし、こういう状況を全く予想していなかった。その先には踏み込むことは出来なかった。

やっと、二人は起き上がった。テーブルの上のこぼれたコーヒーを拭いている大川さんの顔を見て驚いた。頬が涙で光っていた。            つづく

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