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創作の小部屋「身を挺して飼い犬を守った女性」後編

2021年01月31日

 「身を挺して飼い犬を守った女性」後編

今日は日曜日ですが、いつもより早い5時過ぎに起き出しました。何とか「身を挺して飼い犬を守った女性」を書き終えたかったからです。私は気分屋で乗れば食事もしないでパソコンの前に何時間でも座り続けますが、逆の場合は何日も手付かずの状態になります。

昼食もせずに2階の自室にいた私に下から孫が叫びました。

「じいじ~ あそぼうよ~」

この孫には頭が上がりません。

「はぁい~ 今行くよ~」

こうして、私の休息時間が訪れます。孫が可愛いくてなりません。

  創作の小部屋「身を挺して飼い犬を守った女性」 後編

後編 第1章 太郎の死

早退し、駆け付けた動物病院のベッドの中で太郎は意識もなく苦しそうでした。

それでも、太郎は私の必死の呼び声に、一度目を開けました。太郎は私の差し出す指を舐め、弱々しく「ク~ン」と鳴き、再び目を開けることはありませんでした。

数時間の後、大急ぎで駆け付けた主人は、目を真っ赤に腫らしながら「太郎と一緒に帰ろう・・・」と私に言いました。

家族としての最後の夜を、主人と私は太郎と同じ部屋で過ごしました。思い出が走馬灯のように駆け巡り、嗚咽しながら主人と共に朝を迎えました。

主人と私は会社に連絡し休暇を取りました。

遅めの軽い朝食の後、主人はネットで探した市内のペット葬儀社に電話をしました。担当者が間もなく訪れ葬儀の打ち合わせをし、その日の内に火葬をしました。納骨堂もお願いしました。いつでも太郎に会いに行けるようにと、個別の部屋を年契約で借りたのでした。

それから数ヶ月の間、私は毎日のように自分を責め続けました。私が、太郎を殺してしまった。太郎は、私に何かのサインを出していたのに違いない。早く、病気に気付いて欲しいと叫んでいたのかも知れない。なぜ、気付いてやれなかったのか?

栄養については素人の私だけれど、太郎の体重を基に一日550キロカロリーを目安に、偏りのない食事に気を付けてきたつもりでした。朝夕の散歩も3~4kmを目安に歩きました。太郎の健康には人一倍気遣ったつもりでいたのです。

結局、私がいけなかったのです。ここ2ヶ月は確かに仕事が繁忙な時期で、いつも帰宅は9時を優に過ぎていました。この時期は、主人が私に代わって散歩をしてくれており、「最近、太郎は余り体調が良くないようだよ」と主人から聞かされてはいたのです。抱きしめてみても、体重が減ったとも思われず、しっぽを振って私にまとわりつく太郎はいつもと変わらないと思い込んでいました。

確かに私は忙しさにかまけて、太郎の体調をあまり気にしなかったのです。空腹と疲れで私は自分のことしか考えていなかったのです。私が早く気付いてあげていたら!もっと早く動物病院を受診させていたなら、太郎を死なせずに済んだかも知れない!

私は、いつまでも自分自身を責め続けたのでした。

それから、太郎が亡くなり4年の年月が流れました。

人はどんな悲しいことでも、歳月が癒してくれるものだということを知るまでに、私には相当の時間が必要でした。ですが、月命日に主人と太郎に会いに行くことを忘れたことは一度もありません。

後編 第2章 30ヶ所の犬咬創

ある日のこと、主人が白い色をした生後僅かな犬を連れて帰りました。忘れていた犬の匂いと感触が、昔の太郎を思い出させました。太郎が亡くなった後、もう犬は絶対飼うまい!そう固く誓った筈でした。

「どうしたの、この犬?柴犬ね!」

私は訝しげに主人に尋ねると、以前と同じように、飼い主を探している後輩から頼まれ仕方なしに貰って来たとのこと。主人は、何か照れくさそうでした。もう飼うまいと決めた頑なまでに思い込んでいた私の意志は、脆くも瞬時に消えさりました。

「名前は、お前が決めたら?」

主人は私の心の内を読んでいました。流石に長年暮らしてきた伴侶です。私が、以前の太郎のように一目惚れをしたのを察していました。

「この柴犬、どこか太郎に似ている。太郎の生まれ変わりのような気がする。やはり太郎という名前が良い!」

私は、子犬を抱きながら主人に向かって言いました。主人は、ホッとしたかのように頷きました。翌日から、また昔のように私と太郎の散歩が始まりました。不思議なことに、初めての散歩という気がしませんでした。新しい太郎は、元気に燥いで走ります。

それから2週間が過ぎた頃でした。夕方の散歩に太郎と出かけました。

太郎は私がリードを持って近づくと嬉しそうに鳴きます。私の家は市の郊外の畑や田んぼに囲まれたところなので、散歩は周りを気にすることなく自由に歩けます。

歩き始めて20分位経ったころです。向こうから、走ってくる犬が見えました。飼い主の姿はなく、首輪に付けられた紐を引きずって走ってくるのが分かりました。私は、とっさに太郎を抱きかかえました。

「ウゥ~ ウ~」

その犬は私の前に来て、牙を剝きました。どうやら、私が抱いている太郎を威嚇しているようでした。私は、恐怖に怯え後ずさりをすると、いきなり飛び掛かりました。その時私はジーンズを穿いていましたが、膝の辺りを咬まれました。

とっさに後ろ向きになると、今度はお尻の下の方を咬まれました。私は必死で周りを見渡しましたが人の姿はありませんでした。

「誰か 出すけてぇ~!」

私は何度も叫びました。太郎を抱え、私の武器は両足だけです。犬の顔面を蹴ろうとしましたが、本来運動は苦手の私でした。蹴ろうとしてもかわされて、また噛みつかれました。痛いという感覚はなく、恐怖でパニックのような状態でした。

蹴ろうとしては咬まれ、後ろを向くと臀部やふくらはぎの辺りを噛みつかれるという繰り返しです。私はそれでも太郎を抱いたまま放しませんでした。太郎も恐怖で震え、オシッコを漏らしました。私は、更に大きな声で助けを求めました。

犬の牙は私のふくらはぎの筋肉までも損傷させたのでしょうか?私は、立っているのが困難になり、命の危機を感じました。

その時です。やっと数人の男の人が走ってくるのが見えました。私の悲鳴を聞き付けて近所の方が助けに来てくれたのでした。私を襲った犬も、大の男の人には恐れをなして逃げていきました。

男の人に両肩を支えられ、やっと私は恐ろしい犬から解放されました。腕の中の太郎はまだ恐怖に震えていました。男の人は私の傷跡を見ると、その場で救急車の手配をしてくれました。

生まれて初めて乗った救急車の中で、救急隊員から事の成り行きを聞かれましたが、私は強い痛みと安ど感から涙が溢れ、上手く答えられませんでした。救急隊員の方も、私の傷の多さにびっくりしたようで、とても心配そうでした。

病院の先生は、治療が済んでから言いました。

「私は長く外科医として勤務して来たが、34ヶ所も犬にかまれた患者さんというのは初めてだ。でも、奥さん、良く飼い犬を離さず守りましたね。感動しました」

私は太郎を守ったという認識は少しもありませんでした。私の腕の中で怯える太郎を死なせる訳にはいかなかったのです。それは、私自身のためでもあるのです。

もう飼うまいと決めたのに、また飼うことにした私には、太郎を守るのは当たり前のことでした。もし両手を離したら、初めて飼った太郎にも申し訳が立ちません。それに、自責の念で、私は立ち直れなかったかも知れません。その時は夢中でしたが、後から私の深層心理がそうさせたのだと気付きました。

入院はしないで帰宅できましたが、それからひと月の間自宅療養をしました。筋肉の断裂もあったからです。歩くことが出来ずに、お風呂やトイレに本当に困りました。また、食事の支度も出来ませんでした。もちろん、お風呂はお医者さんの許可が出るまで禁止でした。

私は、このような辛い目には遭いましたが、実はとっても嬉しいこともあったのです。それは、主人の優しさです。主人のお陰で私は、何もせずに治療に専念出来ました。私の両足になり、トイレでもお風呂でも、何処へでも肩を貸してくれるのでした。また掃除や洗濯もこまめにしてくれました。主人が仕事の平日の昼食は、早朝に起きて用意してくれました。

主人は、なかなか料理上手なのです。私が空腹感を覚えるようなことはありませんでした。

人生には予期せぬことが沢山あろうかと思いますが「人間万事塞翁が馬」という諺があります。辛いことの後には、幸せが待っています。また、恵まれ過ぎた境遇もいつか地に落ちてしまうかも知れないということだと思います。ただ今回の事件でどうしても残念なのは、もう素足のままでスカートを穿くことが出来なくなってしまったことです。

諦めないこと、謙虚に生きること。それが人生では大切なことなのかも知れません。私の愛した二人の太郎がそれを教えてくれました。                      おわり

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