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癌 二人にひとりが罹患の時代

2022年01月15日

 癌 二人にひとりが罹患の時代

このところ、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」で日本中大騒ぎとなっております。

日本政府は、海外からの感染を危惧し、水際作戦を取りました。とても対応が早く、強い意志も感じられて、今度の内閣は違うなと感心しておりました。ですが、今回の「オミクロン株」は、沖縄・山口・広島から多くの感染者を出しました。そこは米軍の基地がある所ばかりです。それが全ての要因とは言えませんが、年末年始の人の移動で、全国的に感染者が広がり始めました。

いかに念入りに考え、実行しても、基本的なところに誤りがあっては元もこうもありません。アメリカから日本の米軍基地に直接入ろうとも、アメリカからアメリカへの移動ではありません。基地内では、多くの日本人が働いているからです。その辺と所を、日本政府もまた米軍の責任者も分からなかったのでしょうか?

これからもっと多くの感染者が増加することでしょう。昨年、孫の保育園で感染者が見つかり、園児とともに濃厚接触者がPCRの検査を受けました。園児が感染したら、家族は先ず感染から逃れられません。今回の「オミクロン株」は、国民にとって大きな脅威です。

私たち一般国民は、手洗い・マスク、三密を避けるなどありきたりのことしか出来ずに、ただ不安にさらされています。もちろん一刻も早い終息は、日本国民のみならず世界中の人々が待ち望んでいます。

あまりに長引きますとマスクを外した際に「アレ?誰だったかな」と会う人ごとに思い出せず、悩むことになってしまわないかと高齢の私は危惧しています。

  エッセイ 二人にひとりが癌に罹患する時代

昔、医学の世界でよく言い伝えられていた「高僧と癌」という有名な逸話がある。数十年前の、患者に癌であることを告知することは殆んどない時代のことだ。

癌患者は高僧(僧侶の中でも特に位の高い人)であった。

「私は、悟りに近い境地に達している者。如何なる真実であっても決して取り乱ししたりするものではない」

医師は、さもありなんと僧侶の言葉を信じて、事実をありのまま僧侶に伝えた。ところが、僧侶は悲観に暮れて自ら命を絶ってしまったという話なのである。これは実話ではなく、あくまで逸話といわれている。癌告知の難しさを医師へ伝える戒めのものと思われる。

古希を迎えた私には、身内や友人など、癌に罹患した多くの人がいる。私の叔母は、総合病院の内科で高血圧の治療で通院していた。ある頃から、排便時に出血が見られ、主治医に相談した。

「〇〇さん、痔はありませんか?」

確かに叔母には以前から痔がある。出血はそのせいだろうからしばらく様子を見ましょうとの結論になった。だが、数か月もすると、出血は少しずつ酷くなり、叔母は地元の肛門科を受診した。肛門科の医師は、その日のうちに地元では有名な総合病院宛ての紹介状を書いた。

「一刻も早く、受診してください!」

医師の言葉に、叔母は事の重大さに気付いた。それからひと月も経たないうちに、叔母は手術室の主役となった。手術後、執刀医は我々患者の身内の者に、切り取った臓器を見せながら、詳しく説明してくれた。癌で侵された部位は、直径が10円玉より大きく、かなり深く浸潤しているように見えた。医師の「人工肛門も止むなしかと思われたが、すんでのところで免れた」という話に、皆、安堵の表情を浮かべた。

その叔母も術後から、もう10年以上の歳月が優に流れたが、かなり高齢ではあるけれど健在である。私は、個人的に叔母は運の強い人だと思っている。

癌という言葉には、恐ろしい響きがある。親しい人に、昨年の晩秋から肺癌の治療に挑んでいる人がいる。医師からはステージⅣと宣告されている。私は、「必ず良くなりますから、負けないでください!」とメールを送る。すると、「必ず完治しますから大丈夫です!」と強気の返信が返ってくる。

直近のメールによると、癌病巣も大分小さくなり、近々退院になるらしい。高僧にさえ恐れられた癌も、現代の高度に発達した医療界の前には、恐るるに足らずの時代となりつつあるようだ。

ただ、進行癌の完治率は低いので、やはり毎年の健康診断による早期発見が命を救うと、医師は口癖のように繰り返す。

 

【エッセイの書き方】のご紹介

先日の某新聞に「エッセイスト」の岸本葉子さんの記事が載っていた。私は、恥ずかしながら岸本さんのことはお名前も知らなかった。記事を読むと、私は岸本葉子さんなる人をもっと知りたくなった。ある大きな書店まで出向き、岸本さんのコーナーから、「エッセイの書き方」という文庫本をさっそく購入した。初めてエッセイの書き方なる本を読み、いつもの癖ですぐ真似事をしてみたくなり、今回意識して書いてみた。

《本を読んだ感想》

まるで教室で先生とマンツーマンの授業を受けているようだった。とても分かり易く、私のキャパシティの貧しい前頭葉に、スーっと心地よく沁みこんできました。

途中で質問したいときは、ページを戻し何度も読み返します。やっと理解し頷くと、そこからまた先生は授業を再開してくれました。

今日は、エッセイのつもりで書いてみましたが、岸本先生の仰るようにはいきません。何事も根気強さと修練が必要だと今更ながら感じた次第です。

※ 初めの画像は北海道の「羊蹄山(ようていざん)」です。北海道の富士山とも蝦夷富士(えぞふじ)とも呼ばれています。

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