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創作の小部屋「独居老人のひとり言」第8回

2019年03月30日

 「独居老人のひとり言」第8回

上の画像は、今年のものではありません。第6回でアップした時と同じものです。しかし、もう少し気温が上がれば、この画像と同じ風景が見られる筈です。

  「独居老人のひとり言」第8回

第7章 派遣労働者となって

私は、もちろんハローワークを度々訪問したが、面接まで行くこともなく、新聞の折り込み広告にも目を通した。学歴不問と年齢を考慮して探すと、おのずと職種は絞られてしまっていた。例えば、清掃員・警備員・介護関係等が主だった。そしてそれらの求人元は、殆どが派遣会社ばかりだった。

それでもやっと、ある工場で働くことになった。もちろん派遣での採用だった。仕事の内容は、ある大手の住宅会社の下請けで窓の組み立て作業だった。派遣会社の担当者に連れられ現場を見に行ったが、採用してくれるというので働くことにした。工場では、20代から私よりもずっと年上らしい男女まで働いていた。賃金は熟練者も、まだ入りたての者も皆同じとのことだった。

私は、頑張って働いた。時給がいくらとか考えたことはなかった。こんな安い時給では、モチベーションが湧かないと若い者同士が、休憩時間に話していた。1週間が経ち私も随分仕事に慣れた。仕事が随分早くなったと、自分を褒めた。

次の週のことである。私がいつものように脇目も振らずに作業に夢中だった時、その班の責任者らしきまだ30代前半の男が、いきなり私に声をかけた。何事かと電源を落として顔を向けるとこう言った。

「小松さん、もうこの仕事に就いて1週間になるんだから、今の倍の量の仕事をしてくれないと困るよ!」

この会社では「トヨタ方式」とかを採用しており、毎日の仕事量と進捗状況が一目瞭然に示されていた。私は頑張れば5割増し位までなら何とかなると思ったけれど、2倍の仕事量の自信はなかった。

当日仕事が終わってから、派遣会社の担当者に腰を痛めたので辞めたいと連絡した。その後、やはり派遣会社の面接を受けて、いくつかの会社で働いたが、永くは続かなかった。殆ど事前の教育などなくて、いきなり現場に行かされた。ある工場では、作業着に着替えた途端ラインに立たされた。

頑張る気持ちはあったけれど、どこでも永くは続かなかった。   つづく

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