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創作の小部屋「独居老人のひとり言」第35回

2019年07月13日

 「独居老人のひとり言」第35回

今日もつくばは曇りです。私は6時前に起き出し、長袖のシャツを着てパソコンに向かっています。今回で「独居老人のひとり言」も35回になります。3月28日から開始し、約3ヶ半になります。次回で、最終回にしたいと思います。

それではさっそく第35回をアップさせて頂きます。(画像は、フォト仲間のSAMさんの作品です)

  「独居老人のひとり言」第35回

第34章 それからの1年(その2)

陽一君の引きこもりについての、その後をお話ししたいと思う。

「有償ボランティア 引きこもり真心の会」の会長鈴木義典氏の力で、陽一君が変わったのだ。半年間は、ほぼ変化はなかった。それでも鈴木会長は毎週土曜日の午前3時にやって来た。大川さんを1階に置いたまま、会長は一人で2階に上がった。階段の下で、会長の話すことばを大川さんは耳を澄ませて聞いていた。

「陽一君を必要としている人がいる。そしてその人たちが、陽一君に救われるのを待っている。今の陽一君には辛い毎日だろうが、今度はその体験を同じように苦しんでいる人のために役立たせてみないか?陽一君の温かい手を、多くの待っている人がいる」

そういう内容のことを、鈴木会長は訪問の度に少しずつ時間を延ばしながら話した。いつも反応はなかった。

半年も過ぎたころ、数分でも良いので昼の光を浴びてみないかと会長は言った。ドアはいつものように閉じられていた。

会長は勝手に○○日の○○時に○○公園で待っていると話しながら、忘れないようにと小さなメモ書きをドアの前に置いた。

会長が勝手に決めた約束の時間に陽一君は現れなかった。会長は、もしかしたらとの微かの希望を捨て切れずに、約束の10時から夕方5時までその場を離れなかった。昼食も忘れて、辺りを見渡し続けた。

やはり来なかった。しかし、会長は諦めなかった。再度、会長は勝手にセッティングをし、陽一君に伝えて、またいつもの公園で待った。初回と同じように夕方まで待ったが、やはり来なかった。

会長は、夕方5時過ぎまで待ったことを陽一君に伝えたが、決して責めるような話し方ではなく、今度は期待しているというニュアンスだった。

会長はそういうことを幾度となく繰り返したが、決して諦めることはなかった。自分は真心を尽くすが、相手に過剰な期待は持たない。それが「有償ボランティア 引きこもり真心の会」のポリシーだったからだ。

ある日、公園の中で辺りを見渡しながら長時間を過ごす老人を、幼い子を連れた母親のグループが訝しげに見つめた。最近の日本は、静かな公園などでも事件は起きる。会長は、心に一点の曇りもなかったが、柔軟体操をする振りをして繕った。

それでも奇跡を信じて、今回も夕方まで待った。もう日も暮れかかるという頃、会長は今度もダメかと諦めかけた。その時である。落葉樹の木陰から歩いて来る男の姿が目に入った。中背の色の白い30代前半と思われる男だ。その男が、その年齢には相応しくない鈍い動き方で歩いて来る。

近づいて来る男に、会長は興奮して「陽一君?」と声を掛けた。男は、黙って頷いた。

「少し、歩こうか?」

会長はそう言うと、先になってゆっくりと歩き出した。やっと陽一君が外に出てくれた、そう思うと会長は頬を伝う涙を禁じ得なかった。ハンカチで涙を拭いながら、ただ歩いた。5分位歩いただろうか。陽一君は、それでも歩いて付いて来た。

「陽一君、今日はありがとう!また、一緒に散歩してくれないか?」

二人は公園で別れた。

2週間後にまた、会長と陽一君は公園を散歩した。今度は、まだ太陽が西の空に高く、充分に陽の光の恩恵にあずかれる時間だ。会長は、若き日に大きな夢と希望に燃えながら、不幸な出来事からパニック障害に落ち入り、辛い人生になったことを話した。それでも、幾人かの心優しい人たちがいて、その人たちのお蔭で定年まで勤め上げることが出来たと、途中から涙を流しながら話した。

それから会長と陽一君は、10分程度の短い時間ではあったが、公園で何度も会った。青白くさえ見えた陽一君の頬は、いつか歩くことや陽を浴びたことによって、赤みを帯びてきた。また、無表情だった顔にも、時折り笑顔が見られるようになった。笑うと人懐こい性格が垣間みえた。

「陽一君、私たちの会に入ってくれないか?陽一君と同じような苦しみを持った人たちを、今度は助ける側に回って欲しいんだ。陽一君を待っている人が必ずいる。陽一君でなければ、救えない人が大勢いる。陽一君と会える日を待っている人がいっぱいいる」

会長は陽一君に迎合したのではない。相手の辛さを知らない人が、上辺だけの言葉で話しかけても誰も信じない。

「こんな俺に出来るかな?」

と一言、陽一君が初めて言葉を発した。その前向きな言葉に、「出来るよ!陽一君ならできるよ!」と会長は涙ぐみながら言った。陽一君が、今の状況から脱したいと考えている。ああ、大丈夫だ。立ち直ってくれる!会長は飛び上がらんばかりに喜んだ。

会長は、「好きな時間に来てくれればいい。来てくれるだけでいい」と言った。

陽一君は、初めのうちこそ眠そうな、そして虚ろな表情で、会長の事務所に姿を見せていた。だが、会長夫婦や他のスタッフの応援に、陽一君は次第に明るくなり、そして閉じた心を大きく広げ始めた。

大川さんも、陽一君の変化を感じていたという。鈴木会長の訪問から半年を過ぎたころから確かにその兆候が見られたらしい。私の家に夕食を届けに来て、笠間焼の夫婦茶碗で一緒に食べる時の大川さんは、明るい希望に、以前の涙を流したような暗さは消えていた。表情の明るい大川さんは、ますます魅力的だ。

今では、「有償ボランティア 引きこもり真心の会」のメンバーの一人として加わり、まだまだ頼りない陽一君ではあったが、大川さんと私にとってこれ以上の喜びはなかった。

私たちの鈴木会長を見る目は間違えていなかった。陽一君のその心の成長を、会長はまるで自分の息子のことのように喜んでくれる。会長は私たちにとって、やはり神だった。         つづく

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