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創作の小部屋「函館物語」第8回

2022年03月07日

 

 創作の小部屋「函館物語」第8回

ここ最近、つくばも大分暖かくなりました。梅の花も咲き始め、春爛漫を迎えるまでもう少しです。

 

ロシアがウクライナを侵略し多くの被害と犠牲者を出している状況の中で、方やパラリンピックが開催されるという事態に、素直に喜べないという思いがします。各国の選手がこの日の晴れ舞台のためにどれ程の努力をし、また困難を乗り越えてきたということは容易に察せられます。ですが出来ることなら、何の憂いもなく心から素直に応援できる環境の中での開催であって欲しいと思いました。

「函館物語」も、早く佳境を迎えたいとの思いで書き進めております。

第8章 二十間坂から元町、そして赤レンガ倉庫への散策

私は冒頭(第一章)で述べたように、昨夏に古希を迎えた。自分では、まだまだ体力も思考力も衰えていないと確信していた。だが、やはり年齢は噓をつかない。靴下を履くとき、片足立ちで難なくできていたはずが、最近よろめくようになった。また、人の名前が喉元で止まったまま暫く出て来ない。それでも出てくればまだましな方で、酷いときには諦めることもある。

長々と言い訳をしてしまった。実は、前回二回目の最後の2行目「人生には幸せなことばかりは続かないのだということを、間もなく知らされることになるとは予想だにしていなかった」という、この文面の言い訳なのである。時系列的に、私は間違いだったと後から気付いた。私たちの楽しい関係は、まだこの時からしばらくの間は続いたのである。お詫びして訂正したい。

話しを先に進めたい。私はこの病院で働き始めてからまだ2ヶ月しか経っていない。その間に既に2回デートをしている。また、仕事帰りのバスの中で週に2回は必ず会う。デートの回数だけでは、二人の心の距離は計れない。私は、もはや真知子さんのいない世界は考えられなくなっていた。

東京の家具製作会社で働いていた伊藤智之から、レントゲンの学校に誘われなかったら、またこの病院に就職していなかったら真知子さんと会うことは万に一つもあり得なかった。今更ながら、伊藤には感謝してもし切れるものではない。それに人生の不思議なめぐり合わせにも感謝せずにはおられない。

真知子さんとのデートは、1回目が立待岬、2回目が見晴公園(香雪園)だった。そして3回目のデートは函館山の夜景だった。素晴らしい夜景だった。心から堪能して帰ろうとロープウェに向かっていた時、真知子さんはふいに私の胸に飛び込んで来た。とても私の胸は高鳴ったのを覚えている。次のデートは五稜郭にしたいと、その時私は真知子さんに言い、真知子さんも快諾してくれた。

函館山の夜景でのデートから数日経ったある日、真知子さんは空いているバスの中で私に言った。

「晴彦さん、この前、五稜郭に行きたいと言っていたわよね。私、よく考えてみたら私の家から近いし知り合いの人も多いから、出来ればもう少し離れた場所にして貰えたら嬉しいなって思ったの」

最近、病院の中で二人の噂が立ち始めているらしい。私は一度も聞いたことがないが、真知子さんは検査室の親しい友人から聞いたらしい。バスの中かデートの時かは分からないが、誰か病院関係者の人に会ったようだ。真知子さんは、それが気になるらしい。

「真知子さん、僕は噂になっても全然平気だよ。反対に真知子さんとの噂なら、嬉しいくらいだよ」

真知子さんは、また頬を淡いピンク色に染めて言った。

「私だって、別に噂なんか気にしたくないわ。でも、知ってる人に会ったら、挨拶しなきゃならないのが少し恥ずかしいの。ねえ、晴彦さん、五稜郭じゃなくて、二十間坂から元町辺りを歩いて、それから赤レンガ倉庫を見て回るというコースはどう?」

函館は、それ程広い街ではない。何処に行こうとも、誰か知り合いに会う可能性は高い。だが、そのリスクは小さくしたい。まして、真知子さんの家から五稜郭は近い。真知子さんの父の会社の社員も真知子さんの顔を知っている。もちろん私たちの職場の知り合いも多い。私は納得して言った。

「うん、そうしよう。別に誰に会っても恥ずかしいことなんかないけどね。でも、なるべくなら会わないことに越したことはないからね」

それから暫くして、二人は市電函館駅前で待ち合わせをした。私はやはり、待ち合わせの10時よりかなり早めに着いた。真知子さんも気遣いをしてくれて、20分も前に来てくれた。今日は、お弁当でなく末広町辺りで食べようと二人で決めている。

今日もお天気に恵まれた。真知子さんは、いつものようにお洒落な姿で、私には眩しい。私は服装などには無頓着な方なので、うまく説明できないのが悔しい。強いて言えば、薄いブルー系のワンピース姿で、首には細い金のネックレスが着けられている。

市電函館駅前から十字街で降りた。二十間坂までは五分もかからない。二十間坂は明治時代に大火があり、防火帯として18間(36m)に拡張されたらしい。両側の木々の緑が爽やかだ。

 

緩い登り坂を二人は手をつないで歩いた。真知子さんは健脚だ。私の手を引っ張るように軽やかに、鼻歌交じりに歩く。私と会う時の真知子さんはいつも明るく朗らかだ。

「晴彦さん、この坂道を歩いたのは初めて?」

「うん、初めてだよ。元町の方も行ったことがないし、今日は楽しみだったよ。今日のお昼は、いつもご馳走になってばかりいるから、真知子さんの好きなものを奢るからね」

私がそう言いうと、真知子さんは嬉しそうに私の手を強く握った。前にもそういうことがあった気がする。真知子さんのストレートな気持ちが伝わる。私も、少し強く握り返す。

突き当り近くまで歩くと東本願寺函館別院が見えてきた。明治40年の大火で類焼し、大正4年に日本初の鉄筋コンクリート造りとして建て替えられたそうだ。国指定重要文化財に指定されているらしい。

 

「あっ、そうだ。見晴公園の時だったか、晴彦さんにお話ししたと思うけど。お母さんがね、また晴彦さんに会いたいって言うの。だからわたし、もう少し待って欲しいと晴彦さんが言ってるって話したら、でも会いたいって。私がどういう人とお付き合いしているのか知りたいみたい」

私は真剣に真知子さんと交際している。誰に後ろ指をさされることもない。真知子さんのお母さんが、私に会いたがる気持ちもよく分かる。

「真知子さん、真知子さんのお母さんに心配をかけるのは可哀そうだから、いつがいいか聞いてみて」

私がそう言うと、真知子さんの表情がパッと輝いた。

「ありがとう、晴彦さん。私も両親に会って欲しいと思っていたの。嬉しいわ。今夜にでも、お母さんに話してみる。お母さんの喜ぶ顔が見えるようだわ」

真知子さんは素直に喜んだ。楽しい会話をしながらの時の流れは速い。二十間坂を通り過ぎ、右に曲がるとカトリック元町教会だった。この教会も歴史がある。初めの教会は安政6年に建てられたという。現在の建物は大正12年に再建されたものらしい。驚くことに大聖堂内の祭壇一式はローマ教皇から贈られたものだという。

 

函館は素晴らしい。至る所に心を満たしてくれる名所がある。私は真知子さんと一緒に歩くだけでも幸せだ。それなのに歩くたびに、函館は私に感動を与える。この函館で真知子さんと一生を過ごせたら、お金も名誉も要らない。欲しいものは、二人の健康だけだ。それさえあれば、本当に何も要らない。

それから少し先の旧函館区公会堂まで足を延ばした。この旧公会堂は、明治40年の函館大火により焼失してしまったので、住民の集会所や商業会議所として3年後に建てられたそうだ。和と洋の要素が融合した建築意匠に優れ、館内に置かれた家具の保存状態も良いことから国の重要文化財に指定されているらしい。

 

私は時計を見た。もう11時半を過ぎていた。今日は、結構歩いた。若い二人だから疲れはしないが、だがお腹の虫が泣き出しそうだった。

「真知子さん、もう直ぐお昼の時間になっちゃうから、末広町まで歩いてから食事にしない?」

真知子さんは若くて元気だ。

「私、今朝ね。パン1枚しか食べてこなかったから、美味しいお寿司なんか食べたいな。それに今日は、晴彦さんの奢りだし、遠慮しないでお腹一杯ご馳走になっちゃおうかな」

私は普段無駄遣いをしない。今は車を買うために預金をしているくらいだ。

「それじゃ、末広町でお寿司を食べて、それから赤レンガ倉庫を見て、最後にその辺りでお茶を飲んで帰るというスケジュールではどう?」

私がいかにも物知りという風に話したものだから、真知子さんが不思議そうに言った。

「晴彦さん、元町方面は初めてだと言っていたのに、何で急に詳しくなったの?」

「白状するけど、本屋で『二人の函館街歩きコース』」という雑誌を買って、昨日の晩に読んだんだ」

どうりでという風に真知子さんは頷き微笑んだ。だが少しお気に召さなかったようだ。

「函館は私の街なんだから、晴彦さん、私に任せなさい!分からないことは何でも聞いてちょうだい。でも、今からお寿司を食べるのに、しかめっ面は終わりにして、私が美味しいお店を探してあげるわ」

真知子さんは、私の手を引いて急に急ぎ足になった。末広町までは大した時間は掛からなかった。通りを歩いていくと、幾つかのお寿司屋さんがあった。函館なので、新鮮なネタのお寿司が食べられそうだ。数件のお店を通り越してから、真知子さんが言った。

「晴彦さん、ここにしましょう。大丈夫、私が保証するわ」

確かに店構えもしっかりしていて、高級店のようだ。私は、財布の中身が気になったが、恥ずかしい思いをしないようにと、昨日のうちに信用金庫から軍資金を用意しておいたのを思い出した。

「真知子さん、いつもお弁当をご馳走になってばかりで申し訳ない。今日は遠慮しないで好きなものを食べて」

私は落ち着いた口調で、お金はご心配なくと言わんばかりに胸を張った。真知子さんは、さっそくメニューを覗き込んでいる。

「ああ~ どれも美味しそう!迷っちゃうな~」

私は、真知子さんはやはりお嬢さんだと思った。屈託がない。私など、こんな高級そうなお店入ると、緊張し身構えてしまう。

暫く二人で迷ったあげく、真知子さんが海鮮丼、私は握りにした。初めて二人で食べる寿司だ。今後のために聞いておきたかった。

「真知子さんは、お寿司の中では何が好き?」

真知子さんは間髪を入れずに答えた。

「私は、いくらとウニとマグロの中トロが大好き。晴彦さんは?」

私はそんなに寿司を食べた経験がない。実家では、殆んど食べた記憶がない。東京の家具製作会社の忘年会で食べたくらいだ。だから、何の寿司が好きと聞かれてもうまく答えられない。

「僕は、お寿司なら何でも好きだよ。コハダとかイカなんかが好きかな」

貧乏な生活をしてきたことは恥ずかしいとは思わない。でも、こんなところで、どういう生き方をして来たかが分かってしまう。真知子さんは、お茶をすすりながら、嬉しそうに私を見つめている。

やっと海鮮丼が運ばれてきた。私の頼んだ握りはそれから程なくして運ばれて来た。函館の魚市場からの仕入れたというネタは確かに新鮮で美味しかった。真知子さんは割り箸を持ち、ネタにほんの少しだけむらさきを付けて食べる。上品だ。私は舎利にたっぷりとむらさきを付けて食べる。

 

お寿司はリーズナブルな料金だった。また、二人で食べに来ようと約束して店を出た。今度は、赤レンガ倉庫に向かって歩く。前夜調べたデータでは、500mと少しだ。10分も歩けば着くはずだ。私が調べたのを知っていながら、真知子さんは私の手を引きながら、次の角を左とか指示を出す。でも、決して嫌味などではなく、本当に屈託のない人なのだと思った。そんなところも可愛い。函館山を背にして歩いて行くと真知子さんが、指を指して言った。

「あそこが金森赤レンガ倉庫よ!」

思いのほか人が多かった。観光客の姿が目立った。潮風が少し強く、真知子さんの前髪がなびいた。

 

初代渡邉熊四郎が明治時代に開業した「金森洋物店」が起源という。金森赤レンガ倉庫というのが正式な名称らしい。左手に海が広がり、右手には倉庫群が連なっている。私は、真知子さんから手を放し、少し先に走って振り返った。函館山と赤レンガ倉庫、そして真知子さんの姿が調和して1枚の絵画になった。

「真知子さん、素晴らしいところだね。僕はカメラを持っていないけど、近い内に買おうと思っている。真知子さんの姿も撮りたいし」

真知子さんも頷いた。これからの二人の歴史を画像に刻んで行きたかった。真知子さんへの愛の高まりを記録しておきたかったのだ。

赤レンガ倉庫を歩いていくと、七財橋という橋が架かっていた。そこから振り返った景色もまた美しかった。真知子さんも私の真似をして振り返った。

「本当に、素晴らしい景色ね。晴彦さんと一緒だと、余計にキレイに見える気がする」

私は、恥ずかしくなったっが、それでも嬉しかった。この今の気持ちを私は生涯忘れることはないと思った。

しばらく散策してから、赤レンガ倉庫の中のコーヒーのお店に入った。

 

今日も楽しい一日だった。私はとても幸福な青春を生きている。すべて真知子さんのお陰だ。一緒になったら、きっとこの人を守って生きて見せる。生涯、この人だけを愛し続ける。私は、真知子さんの笑顔を見つめながら、そう心に誓った。                     つづく

 

※今回使用させていただいた、二十間坂・東本願寺函館別館・カトリック元町教会・旧函館区公会堂・赤レンガ倉庫のいずれも函館市公式観光情報さまより拝借させて頂きました。御礼申し上げます。アイキャッチ画像は、我が家の畑の隅に以前生えた蕗の薹です。また梅の花も以前撮ったものです。

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