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課題テーマに挑戦「金沢市」第20回

2020年07月12日

 課題テーマに挑戦「金沢市」第20回

今回、金沢市をテーマとした物語を書き進めておりますが、前回第19回の「第5章 私の生涯を決めた出来事」の内容ですが、本当のところ自信がありません。それどころか、素人が迂闊に、専門の先生方が日夜必死に研究されているところに、土足で足を踏み入れたような、素人の浅ましさを後悔せずにはおられません。

私がちゃんと学び、医学的に裏付けされた内容であれば、何ら問題はないのですが。「ADHA」は7歳ころまでに発症すると言われているようです。物語とはいえ、中学2年になり初めてその病名の診断がなされること等多分ないと思われるのです。

もし、事実と違うことを書いてしまったのであれば、このHPをご覧の皆さまに誤った「ADHA」の情報を伝えたことになってしまいます。それは、個人のHPであっても許されることではありません。

もし、このHPをご覧の皆さまの中に、この「ADHA」についての詳しい知識をお持ちで、私の書いた内容が誤りであると思われる方がいらっしゃいましたら、ぜひご教授頂きたいのです。誤りであれば、読者の皆様にお詫びし、ストーリーを修正致します。大分背伸びをした、迂闊な自分を恥じています。

今から20数年前ですが、私はノンフェクション作家の柳田邦男氏の著書にはまったことがあります。「癌回廊の朝(あした)」「死の医学への序章」「死の医学」などでした。

柳田邦男氏の取材量は半端でなく、例え作家でも誤った医学の情報の提供は許されないという執念からでしょうか、著作の中の柳田氏は、外科医や脳外科医などと同等の知識を持っているのです。もちろんCTスキャンやMRIの読影等も同じレベルです。

そうした実力の裏付けを持ちつつ、読者に事の真実を臨場感あふれるタッチで訴えるのです。私は「癌回廊の朝」のなかの『執念の源泉』の部分では胸が一杯になり、涙を禁じ得ませんでした。

自らの信念を教授に対しても曲げることなく貫いて、小さな癌の発見をした執念の場面です。後に順天堂大学消化器内科教授になられた白壁彦夫先生の、胃部レントゲン【二重造影法】の誕生の瞬間でした。

素人の本当に浅はかな物語で、柳田先生の作品と比較することもおこがましいのですが、幼児と成人の差があろうかと思われます。ですが、許されるならこのまま続けて行きたいと考えております。(アイキャッチ画像は、兼六園の朝日です)

  夕香金沢ひとり旅 第6回

第6章 悩みの素因

夕香がこれほど疲れている、そして悩んでいる基となっているのは、夕香が小学生の頃に作られた法律だと思っている。夕香が何も知らずに隆ちゃんをバカにして遊んでいた頃(2003年7月)に成立し、翌年の2004年4月より施工された「国立大学法人法」だ。

この国立大学法人化には、良いことばかりではなかったらしい。

《ウィキペディアより》

「運営費交付金が法人化後11年間で12%減少した一方、消費税、電気料金、電子ジャーナル料などで諸経費が高騰し、常勤教職員の減少、教員の多忙化による論文数の停滞、学長裁量経費の確保も困難となる悪影響が顕著に出たこと、私立大学とは異なる税制上の扱いのため、寄付金額が伸び悩んでいること、競争的資金の使い勝手の向上が必要といったことが示された。」

《大学の実情》

「04年度に国立大学が法人化されて6年が経つ。法人化により、それまで国に使途が定められていた国立大学の予算が、大学の希望通りに使えるようになり、剰余金を次年度に繰り越せるようになった。しかし、法人化以後に国から給付される大学の予算(国立大学法人運営費交付金)は年々減少している。国立大学全体の削減額は、6年間で830億円に上る。これは小規模の国立大学26校分の年間運営費交付金と同額程度の計算になる。

国立大学の予算が削減されると、大学に通う学生もその影響を受けることになる。大学の資金を管理している財務部や、学生の生活を支援している学生部は、国立大学が法人化し、大学の予算が毎年1%減額されるようになってから、なるべく学生に直接の影響が出ないように尽力してきた。しかし、今後さらなる減額が行われると、人件費の削減だけでは対処できなくなると危惧している」

夕香はいつか友人から聞いた噂を思い出した。

大学に事務用品(事務用機器・机・椅子・文房具その他)を納入している南関東のある小さな会社で働く友人の親戚の人は、仕事が激減し月8万円もの減給となった。また、大学の共有部の清掃を委託された会社では、床ワックス清掃が年4回から2回となり、また年金だけでは食べていけない高齢者が主に働く日常清掃の労働時間も、1時間の時間短縮となったらしい。大学は何としても生き延びなければならないと、爪に火を点すような努力をしているようだ。

《小坂井敏晶『答えのない世界を生きる』pp. 128-129》

「日本では大学教員の評価システムが定着し、競争の時代になった。講義シラバスの公表を義務付け、授業内容を学生が評価する大学がほとんどだ。インターネットを検索すれば、教員の業績がわかる。発表論文や著書、受賞歴などがリストになって出てくる。そしてマスコミや政府が競争を煽る。

だが、やりたくない研究に何の意義があるのか。履歴書の厚みは増す。しかし個性は殺される。「客観的」で「公平」な評価方法は質より量を重視し、常識を疑う少数派の金脈を潰す。(中略)書類作りが増え、教員の官僚化が進行する。すでに教授は研究者から中間管理職に変質した」

こうした背景の中で博士号の取得を目指す夕香には、悩みがあるのはある意味当然かも知れなかった。夕香も多くの論文を専門誌への投稿と、また「発達障害」関係の幾つもの学会での発表と、いつも時間に追い立てられていた。          つづく

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