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課題テーマに挑戦「金沢市」第19回

2020年07月04日

 課題テーマに挑戦「金沢市」第19回

大雨により被害を受けられました熊本・鹿児島両県の皆様にお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方に謹んで哀悼の意を表します。

現在、4日の午後3時です。やっと昼食を食べました。今日は、妻が出かけていて、おかずは自分で作りました。裏の畑から採って来たピーマン・しし唐と玉ねぎを炒めて、ウィンナーソーセージを後から入れ、塩と胡椒で味付けをしました。

このブログは、午前10時頃から始めて、午後2時近くになってしまいました。1時ころには終わらせようと思っていましたが、いつの間にかこの時間になってしまい、慌てて昼食を作ったのです。(上の画像は、雨に濡れた夜の紫陽花です。クリックして大画面でご覧くださいませ)

この野菜の画像は、今年のものではありません。トマトはミニと中玉です。まだ家の畑のトマトは熟しておりません。下のほうの白く丸いのはメロンです。メロンやスイカも美味しいのですが、我が家ではあまり食べません。今年は、地面を這う野菜としては栗カボチャにしました。

さっそく「夕香金沢ひとり旅」に入りたいと思います。

  夕香金沢ひとり旅 第5回

第5章 私の生涯を決めた出来事

私が現在博士号を取得しようとしている研究テーマは「発達障害」だ。私が生涯をかけ「発達障害」を研究テーマにした動機は、大袈裟なものではなかった。

母の弟、私からすれば叔父になる。その叔父が婿養子として入った家がすぐ近くだった。その叔父には、私と同い年の男の子がいた。名前を隆と言った。私が小学生の頃、よく叔父と我が家にやって来た。

その男の子は、いつもじっとしていずに動き回っていた。私とかくれんぼをしても、柿の木の間から、あるいは物陰からすぐ出て来てしまう。いつも休みなく動きまわり、じっとしていることが苦手のようだった。半面、興味のあることには、例えば積み木などは、時間を忘れるほど没頭して、ご飯も食べずにやり続けたりした。

私はいつの間にかこの男の子と、一緒に遊ぶことが嫌いになった。遊びにならないのである。二人で何かを始めても、いきなりゴムのボールを持ち出し、手が滑って道路に投げてしまったその後を追い、車が通るのも確認しないで飛び出したりする始末である。

「隆ちゃんは、本当にバカなんだから!もう一緒に遊んでやらない!」
私はそのうちに、このいとこの男の子をバカにし始めた。母が咎めたが、私は一向にバカにすることを止めなかった。小学4年生の頃である。

そのいとこの隆ちゃんが中学2年生になった頃、担任の先生から叔父に呼び出しがあったそうだ。叔母さんが学校へ行くと、担任の先生から「発達障害かも知れないので、一度専門のお医者さんに診て貰ってください」と言われたとのこと。隣町の総合病院の小児科で診て貰うとやはり「ほぼ発達障害に間違いないだろう。ただ、私はこの病気の専門医ではないので、紹介状を書くから、大学病院の専門医に相談して欲しい」とのことだったという。

母にも相談の連絡が入った。叔父も、叔母も、もちろん私の母も祖母も初めて聞く病名で、何のことかさっぱり解らない。大学病院の予約の日には、叔父、叔母、私の母と3人が付き添って出かけた。「発達障害」という病気のことを正しく、そして詳しく聞こうと必死だったのだ。

大学病院の専門医は博士で、大学の講師も兼ねていた。この医師の説明では、発達障害という病名は幾つかの病名の総称で、隆ちゃんの正式の病名は「注意欠陥・移動性障害(ADHD)」とのこと。その病気の特徴を詳しく説明してくれた。

【ADHDの特徴】

不注意(集中力のなさ)、多動性(落ち着きのなさ)、衝動性(順番待ちができないなど)の3つの特性を中心とした発達障害のことを指します。また、注意欠如多動性障害と訳される場合もあります。
ADHDは7歳までに発症し、幼稚園や学校生活のさまざまな場面で、3つの特性から来る行動が確認されます。ADHDに関連した症状は短期間で消失するものではないため、学業や友人関係の構築に困難を覚えることがあります。
ADHDは小児期に発症する病気ですが、学童期や成人になっても症状が持続することが多いといわれています。決してまれな疾患ではなく、また、男児のほうが女児よりも多い傾向があります。
なお、ADHDと自閉症スペクトラム障害(自閉症やアスペルガー症候群などを含む概念)は混同されることが多くありますが、両者は異なるものです。自閉症スペクトラムでは、コミュニケーションや対人行動の障害が中心となります。(Medical Noteより転載)

私は母からこの話を聞いたとき、小学生の頃を思い出し、とても後悔した。病気ゆえだった隆ちゃんの行動をバカにしたのを思い出したのである。母や祖母、そして叔父のいる大勢の大人の前で、隆ちゃんを辱めた。隆ちゃんは、どんなに悔しかったことだろう。私の言葉に、どれほどプライドを傷つけられたことだろう。もちろん、当時まだ何も知らない子供だったとはいえ、私は自分自身を許せなかった。

いつか隆ちゃんにこの償いをしようと考えた。それには、どうすれば良いのか、その時は思い付かなかったが、高校2年生の頃「発達障害」の研究者になり、隆ちゃんのような病気の子供のためにこの生涯を捧げることで、隆ちゃんに許しを請おうと真剣に考え始めた。

現在も、発達障害を引き起こす要因やメカニズムなどは、まだハッキリと解明されていないらしい。この病気には、早期発見と共に早期支援が大切らしい。この私も努力をすれば、この病気のために苦しむ人たちとその家族のために、きっと役に立つことがあるに違いない。

人は意識せずとも心の願う方向に歩んでいく。当然ながら、その結果として現在の私が存在している。          つづく

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