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課題テーマに挑戦「金沢市」第24回

2020年08月10日

 課題テーマに挑戦「金沢市」第24回

「夕香金沢ひとり旅」も佳境に入りました。夕香さんが、金沢に来て本当に良かった思える瞬間は来るのでしょうか?

それとも期待外れに終わるのでしょうか?この後、2章程度で完結出来るように努力したいと思います。

  夕香金沢ひとり旅 第10回

第10章  教授の回顧その2(スキルス性胃癌)

「あれ、ちょっと待って!」

友人は胃の表面の襞(ヒダ)の間を慎重にカメラで追っていましたが、その襞の間に2ミリ位の黒い窪みを発見したのでした。胃カメラの先についている鉗子で、友人はその部分の組織を採取しました。

それから2週間後の昼時に再度友人の彼から連絡が入りました。私はその間、不安と焦燥感それから不眠に悩まされました。

「俺だよ。この前の内視鏡の時の病理組織の結果が出たんだ。本当は病院でデータを見ながら話したいんだが、俺とおまえの仲だ。今晩駅前の居酒屋で7時頃待ってるから、来てくれないか?」

その時、私は次回の講義の資料を準備していましたが、それから仕事が手に付かず、早退して家に帰りました。妻に友人からの話しをすると、一瞬顔を引きつらせましたが、直ぐまたいつもの笑顔に戻って言いました。

「あなた、私には病気のことは分かりませんけど、今まで無理して頑張って来たんだから、少しは体を休めなさいという神様のご好意じゃないかしら」

私には勿論分かっていました。妻も相当なショックを受けたはずでした。ですが、持ち前の気丈さからわざと笑顔を作ってくれたのです。

その晩、居酒屋に定刻前に行くと、友人は店の奥の人目に付きにくいテーブルに座っていました。友人の細やかな配慮に、私はこの時点から涙が滲んでいました。

「悪いが、先にやっていたよ」

テーブルにはいくつかの料理と生ビールのグラスが二つありましたが、手は付けられておらずそのままでした。

「酒を飲みながらの、医師と患者という関係は普段はあり得ないのだけれど。まあ、お前と俺の仲だ。あまり気にすることもないだろう。先ずビールで乾杯をしてから、話しをしよう」

私はすごく結果が気になって、ビールどころではありませんでしたが、病院の陰湿な中での告知より、いくらかでも確かに気が紛れる友人のこの思いやりに感謝したのでした。グラスに注がれたビールを一気に飲み干しました。アルコールの味はしませんでした。

「結局、何かい?私は癌の患者になってしまったという訳かい?」

私は不本意ながら、いろいろ配慮してくれる友人に対し、開き直ったというような少し乱暴な言い方をしてしまいました。

「何度も言うが、この件に関しては俺とおまえの仲だから、隠し事は一切しない。ありのままを話す」

二人が周りを見渡すと、私たちの話声が聞こえる範囲にお客はいなかった。

「この間の病理検査の結果、確かに癌細胞が検出された。初めの胃のレントゲンで大湾部が少し板状に見えると話したと思うが、これはスキルス性胃がんを疑ったものなんだ。

スキルス性胃がんは発見された時は、手遅れの場合が殆んどだ。胃の筋膜層に入り込み、あっという間に広がってしまうからだ。自覚症状があっても、カメラではなかなか見つけられないのだよ。胃の表面は何ともないのだから。ただ今回は、幸運にも2ミリの窪みが見つかった。ここが原発巣で、ここから筋膜層に入り込んだと思われるんだ。

正直、5年生存率は今の医学では7%未満と言われている。しかし、お前の場合は、普通あり得ないのだが、スキル性胃がんでも初期ではないかと思っている。一般の患者さんがスキルス性胃がんを発見されたときは、ほとんど腹膜播種(ふくまくはしゅ)が見られ、ステージⅣと診断されるが、お前はきっと本当に初期で、胃の全摘も必要ないのではないかと信じている。

もし、お前の手術で私の狙い通り、初期のスキルスで胃の3分の2程度の摘出で済めば、これは学会ものだよ。それくらい、お前の癌は早期だと思う」

友人は、いつか私を貴重な症例として、学会で発表したいと考えているようだ。

私はもちろん腹が立ったが、友人には全く悪意はない。胃がんの中でも特に悪性のスキルス性胃がんの早期の可能性が高いという。もし、同窓会で受診を勧めてくれなかったら、おそらく2か月後の私は間違いなく余命数か月と宣告されただろう。

私は、不覚にも涙を禁じえなかった。この涙は、私の未来が閉ざされたという嘆きの涙なのか、あるいは友人の行為によってまた現役に戻れる可能性が残されているという喜びの涙なのか、私は友人の手を取って、声を殺して泣いた。          

                                   つづく

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