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課題テーマに挑戦「金沢市」第26回

2020年08月15日

 課題テーマに挑戦「金沢市」第26回

「夕香金沢ひとり旅」も次回で終了と致します。夕香さんが疲れて、悩んで訪れた金沢。

人には一生に数度、心から感謝したい出会いがあります。もちろん恋愛もその代表的な出会いですが、それだけではありません。人生を左右する程、有難く尊い出会いもあるのです。

夕香さんには、金沢がその出会いを待っていたようでした。

  夕香金沢ひとり旅 第12回

第12章  教授の回顧その4(教授のその後)

やっと退院した私は、胃切除後症候群に悩まされました。例えば、食後の膨満感です。食べる量は少ないのに、腹が張り、腸の中のガスがおならとなって出るまでが苦しいのです。「すこしずつ」「よく噛み」「分けて」を実践しましたが、下痢にも悩まされました。食べ物を消化したり、働きの低下によるものだそうです。

またやっと1年を経過したころは、逆流性胃炎に悩まされました。胃の不快感や胸やけなどです、空腹時に良く起こりました。いろいろと体調の悪いことは切れ目なく襲ってきて、一時食べることが怖くなってしまった時期があるくらいです。

それでも私は命の危機の前において、これくらいで辛いなどとは言えませんでした。贅沢な悩みだと耐えることが出来ました。『5年生存率7%』という文字が毎晩のように、私を苦しめましたが、友人の外科医の『大丈夫だ。大丈夫だ!』という受診ごとの励ましが、私を何とか支えてくれました。

手術後の私は、自分で言うのも変ですが本当に変わった気がします。あれほど偉くなりたい、出世がしたいというギラギラしていた私の欲望はすっかり消えました。朝、目覚めると、今日も生きているという感謝に、合掌せずにはおられないようになりました。妻からも表情が柔らかくなり、今までのあなたではないようだとよく言われました。

私は大きな手術の後ではありましたが、ひと月の休暇の後、専門誌への投稿や学会発表を精力的にこなしました。講演の依頼があると必ず受けました。講演料などどうでも良いことでした。

私は温めていた、時期尚早と思われる論文や『特殊教育』の世界では名の知れた研究者の方に迎合したと思われるような論文までも投稿あるいは学会発表を致しました。

私には、自らの命の期限がいつまでなのか、数か月先なのかあるいは1年先なのか、それが分からない以上悠長に構えてはいられなかったのでした。友人の外科医も5年間は予後をしっかり追跡しなければと言っていましたし、手術中の金剛力士も私を監視しているかも知れないという子どもじみた不安も私の背中を押しました。謙虚な心で研究にまい進すると宇多須神社にも約束してありました。

不安を追い払うかのように、私は研究に没頭し、そして専門誌への投稿や学会への発表、そして講演活動と時間の浪費を避けた生き方を続けました。

このような毎日を繰り返しながら、いつしか友人の外科医が言った5年間の「仮釈放」は無事何事もなく終了しました。それから私の夢の中で叫ぶ恐怖の金剛力士の姿も消えました。

「大西、おめでとう!私も本当にうれしい!」

友人の外科医は立場を忘れて、瞼を診察室のテーブルの隅に置かれてティッシュで拭いました。

ちょうどその頃です。国立特殊教育研究センターの所長から1通の封書が自宅に速達で届きました。

「当研究センターにて、貴殿が快適に研究できる環境を用意させて頂きますので、『教授』として招聘させて頂きたく、臥してお願いを申し上げます」

簡単に表すと以上のような文面でした。妻は、喜びました。術後の経過も太鼓判を押されて、更に「国立の特殊教育研究センター」から教授としての招聘ですから当然でした。大学の要職にある何人かの方に相談させて頂きましたが、誰一人として異を唱える人はいませんでした。

その後は胃の方も順調で、気が付くと、あっという間に20年近くをこの研究センターで過ごしていました。ですが、あの手術前後の私の気持ちにいささかのぶれもないと自負しています。そうして、今日あなたと偶然からこうして相対している訳です。私は、この出会いにとても運命的なものを感じています。

・・・・教授の独り言は終わりました・・・・

静かに教授の話しを聴いていた夕香は、大きな瞳に溢れている涙を拭うことも忘れていました。

「私も博士号を取得する前やそれ以降も、あなたと同じようにいろんなことで悩んだりしました。ですが、罹患してからの私は、大概の悩みにはそれほど重要な問題はないと思えるようになりました。

私は、このスキルス性胃がんという病気にならなくとも、どこかの大学で教授になっていたかも知れません。ですが、学生にはすこぶる評判が悪かったと思います。

『あの教授の授業だけは、出来ることなら欠席したい。あの高慢さには耐えられない』

そんな陰口も私には届かず、退官まで孤独な授業を繰り返していたことでしょう。今の私は、あのASDの子ども達と週2日は共に過ごしています。私が教えることより、学ぶことの方が多いくらいです。あの子ども達と一緒に生きていられることが、私は嬉しくてなりません。

さて、長くなりましたが、あなたの悩みに少しは答えられたでしょうか?

迎合という言葉の意味をあなたは誤解されています。必要な研究なら、誰に対しても余計な気を使うことなど愚かなことです。専門誌も学会も評価してくれるなら、それは迎合とは言いません。あなたの力、あなたの人間性なのです。胸を張って堂々と生きて下さい。

現代社会のすべては、今や一年一昔です。時流に乗ることなど誰にも出来るものではありません。あなたには自信を持って、明日を見つめながら研究して欲しいと、私は心から願っています」

教授は夕香のために、辛く苦しい、そして自身の恥ずかしい部分までも隠さずに話してくれたのでした。夕香は感動で胸が一杯になりました。                つづく

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