課題テーマに挑戦「沖縄」第5回
2021年05月30日
課題テーマに挑戦「沖縄」第5回
つくばは朝から快晴とは言えませんが晴れています。今、私の机の近くに置いてあるラジオからは「子ども相談室」の元気な子供の声がが聴こえてきます。回答者の筑波大の先生が子どもに優しく分かり易くお話しされています。
話は変わりますが、私の家庭菜園についてお話しさせて頂きます。順調に育っていましたが、つい油断したため、キューリがうどん粉病に、またナスが虫食いの被害にあってしまいました。対処方法として昨日、近くのホームセンターで、その両方に効くスプレー式の薬剤を買ってきました。
キューリのうどん粉病
ナスの虫食い被害
このスプレー式の薬剤が効いて、また元のように元気になってくれるように祈っています。
沖縄 第5回
前回、沖縄の悲しい過去のお話をさせて頂きましたが、二度と繰り返してはならない戦争の悲しい出来事を、今回もう一度だけアップさせて頂きます。
対馬丸記念館 引用(那覇市観光資源データベース)
太平洋戦争中、沖縄の民間人や子どもたちが多数犠牲となった「対馬丸撃沈事件」に関するこの記念館は、那覇空港からほど近い「波の上市民ビーチ」の側に静かにたたずみ、2階建ての建物は対馬丸への乗船をイメージさせる構造となっている。
「対馬丸記念館」は「子どもと戦争」に焦点をあてた展示を行っているのが特徴的。館内では事件の全容を学び、犠牲者の氏名、生存者や遺族の証言、当時の学校教室や船内の復元、犠牲者の遺影・遺品を見ることが出来る。また、対馬丸記念館公式ガイドブックも発行され、その他の戦争資料が見られる図書室も完備。
記念館の建つ那覇市旭ヶ丘公園には、対馬丸犠牲者の慰霊碑「小桜の塔」がある。
画像 琉球朝日放送より転載
【NHK戦争証言より】
昭和19年8月22日、中島さんが船員として乗り組んだ疎開船「対馬丸」が沈没する光景。夜10時過ぎ、米軍の魚雷3発を受けた対馬丸は10分も経たずに左側に大きく傾き始め、危険を感じた中島さんは船から離れようと海に飛び込み必死に泳いだ。
「ズドーン」という大きな音に振り返ると船は船尾から沈み始め、およそ20秒で姿を消した。しばらくすると船体から出る空気の泡とともに救命胴衣を着けた子どもたちが浮かび上がって来た。皆うつぶせで頭が海水に浸かり、死んでいるのがわかった。
中島さんはイカダで3日間漂流の後、日本軍の船に救助された。中島さん『生き延びた者として対馬丸の悲劇を伝え、若い次の世代に戦争が子どもたちの人生をめちゃくちゃにしたことを知ってもらいたい。私の耳には助けることが出来なかった子どもたちの悲鳴が今でも残っている』
いつでも何の罪もない弱い立場の人々や子ども達に犠牲を強いるのが戦争です。二度と繰り返してはならないと思います。
アイキャッチ画像は、「対馬丸慰霊之碑」です。ウィキペディアさまより拝借いたしました。