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課題テーマに挑戦「沖縄」第4回

2021年05月16日

 課題テーマに挑戦「沖縄」第4回

今日のつくばは曇りです。午後少し雨が降りましたが、ほとんど地面が濡れることはありませんでした。私は、昨日から扁桃腺の腫れで体調を崩しています。近くの掛かりつけの先生から抗生物質他2種類の錠剤とうがい薬を頂いてきました。抗生物質は私にはとても良く効く薬で、回復していくのが分かります。

ところで、今月の5日頃畑に植えた、トマトとナスの苗の成長ぶりをご覧いただきたいと思います。その他はまた後日アップしたいと思います。

トマトの大玉「桃太郎」です。もう花が咲いています。

ナスも順調に育っています。ナスの苗は茎と葉の色が紫が濃いほど良い苗で、大きな収穫が期待出来ます。この状態は70点ぐらいでしょうか?

この苗は「弦ありエンゲン」です。まだ植えてから1週間くらいです。3本植えましたが、収穫が始まると、採っても採っても後からいくらでも出てきます。味噌汁や胡麻和えにして頂きます。

南の面した部屋の前に植えた沖縄ゴーヤと白色ゆうがおです。夏の頃にはネットを伝わり、2階まで緑一色になります。周りに、去年の朝顔の種から芽が出たものがありますが、1~2本ゴーヤのネットに這わせます。

  沖縄 第4回

第2回で何枚か沖縄の画像をアップしましたが、海と空の青さが半端なく美しい所だと思っています。まだ行った事のない、見たことのない「沖縄の作詞」を私はしようとしています。当然、この日本の最も南の島について、たくさんのことを知らなくてはと思っています。

石垣島の澄んだ海。

那覇市の泊大橋、空が美しい。

さて、本題に入ります。沖縄には、「沖縄戦」というあまりに悲しい過去があります。

沖縄県営平和祈念公園 (文 じゃらんネットより 画僧ウィキペディアより転載)

沖縄戦終焉の地となった摩文仁の地にある県営公園。園内に建設された沖縄県平和祈念資料館・敵味方の区別なく沖縄戦で戦死した23万余の犠牲者の名を刻んだ平和の礎・国立戦没者墓苑がある。

平和の塔 (文・沖縄情報IMA 画像・ウィキペディア様より転載)

 

東支那海と太平洋を分ける、沖縄ならではのエメラルドグリーンから深い青に変化する海から切り立った喜屋武岬がありあます。

沖縄戦が終結に近づいた頃那覇方面から南部に戦線が移り、人々もそれに連れてサトウキビ畑が広がるこの南部地域に追い詰められました。 周辺の海は米艦隊が襲来して砲撃を開始、人々は最後にはこの崖から飛び降りる事しか出来なかったと言う、とても悲しい歴史を秘めた場所でもあります。

どんな大義名分を掲げた戦争でも、その結果は何の罪もない非戦闘員の市民が大きな犠牲になり、どちらが勝っても悲しい歴史しか残さないと解っていながら繰り返す。人間の愚かさを思い知らされます。

ひめゆりの塔 (ウィキぺディアより、文・画像転載)

現在のひめゆりの塔(手前): 奥に見えているのは慰霊碑(納骨堂)、塔と慰霊碑の間に口を空けているのが第三外科壕。その壕は深さ14mあり当時はハシゴで昇り降りしていた。

戦局が絶望的になると、6月18日、学徒隊は解散を命じられる(看護婦採用試験合格者を除く)。しかし、既に沖縄のほぼ全域をアメリカ軍が支配しており、また周辺も既に激しい砲撃にさらされていたため、地下壕から出ることはほとんど死を意味した。

最も被害を受けたのは第三外科壕の学徒隊である。第三外科壕は19日朝、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名のうち、87名が死亡した。さらに壕の生存者8名のうち教師1名(玉代勢秀文)と生徒2名(仲田ヨシ、又吉キヨ)は壕脱出後に銃撃され死亡したとみられる。

「沖縄戦」の悲しい慰霊碑はこれだけではありません。次回第5回「沖縄」も今回に続いて、忘れてはならない沖縄の悲しい過去をアップしたいと思っています。※アイキャッチの画像は波照間島のビーチです。また石垣島の澄んだ海はウィキペディアさまよりの転載です)

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