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課題テーマに挑戦「銚子港」第23回

2024年01月31日

 課題テーマに挑戦「銚子港」第23回

元旦の早朝に第22回をアップさせて頂いた時には、まだ何事もなく平和な日本でした。ですが、その日と翌日の二日に渡って悲しい出来事が起こりました。石川県能登地方の地震と羽田空港における飛行機事故です。

先ず能登地方を震源とする地震により、亡くなられた方々のご冥府をお祈り申し上げます。また、家屋の倒壊や津波等により、災害を受けられた方々に対し心からお見舞いを申し上げます。また救援活動をされている関係者の皆様並びにボランティアの方々には心から感謝致しますと共に、ご自身のお身体もおいとい下さいますようお願い申し上げます。

また、翌日の夕方の日航機と海保機との事故も悲しい事件でした。日航機は死者を出すこともなく、乗務員の機敏な対応に海外からも高い評価と称賛の声が上がっています。冷静な判断は普段の業務への真摯な訓練から生まれたものと確信しています。

この事故により海保機の乗員で亡くなった方々には、尊い任務の途中とのことに深く哀悼の意を表します。

能登地方の地震での被災者の方々に寄り添った一日も早い復興を祈るばかりです。

以前私が旅をしました輪島も大変な災害に遭われました。その時の朝市で、私が可愛いと思いついでに買った「能登民芸」をご覧頂きたいと思います。

 

アイキャッチ画像は、白菜畑から望む筑波山です。白菜の収穫量は茨城県は確か日本一だと思います。私の住むつくば市でもたくさんの農家の方が栽培されています。

下の画像は、先日の夕方、散歩のおりに撮ったものです。

 

 

当日、池に着く途中で撮った山茶花です。

 

  物語 想い出の銚子電鉄外川駅(第16話)

【萩での由香里さんの初デート】

由香里さんは午後3時まで仕事をし、それから自動車教習所に通うという生活が3週間も過ぎた頃には、運転に必要な知識もまた技術も少しは自信が付いてきたような気がした。だが、実技学習で苦手なのが縦列駐車だ。

どうも感覚がいまいち、つかめない。指導員の言う通りにしているつもりだが、左側の障害物が気になり、どうもハンドルを切るタイミングが掴めない。

ある指導員は、その度に苦虫を噛み潰したような顔をする。若い由香里さんは真っ赤な顔をする。それが指導員には楽しいのかと委縮してしまう。 

だが、全ての指導員がこのような者ではない。優しい指導員もいる。髪を短く刈り上げられた30代半ばの指導員は全く別だ。

「渋谷さん、仕事をしながら、若いのに頑張っているね。この調子だと来月には合格できるよ!」

運転免許が取れたら、高級車など今の私には不相応だ。中古車で充分だと思っている。

萩に越してから2年も経つが、由香里さんも家族はまだ、萩を知らない。名所を見たことがない。父は仕事で、休みの日は家でゆっくりしている。弟は、年中部活に夢中だ。

由緒ある建造物を見て廻ることに、もちろん興味はある。だが、時期が大切だ。観光客が充分に満足をし、もう、その方たちが故郷に帰られた後、家族と共に静かに、そして密かに萩の歴史に感動したいと思っている。

萩には幕末から維新にかけて歴史に名を遺した人物が大勢いる。その方たちの生誕の地や記念館も数多くある。後の総理大臣・伊藤博文も輩出した、吉田松陰の私塾・松下村塾がその最たるものだ。

ただ、由香里さんは多くの観光客で賑わう名所より、市の観光マップで見た、夕日の美しい指月山や菊の浜のような、しみじみとして味わい深い、そんなところで家族揃って寛ぎたい。もちろんその時は、由香里さんは奮発して美味しいお弁当を用意したいと思う。

他にも行きたい所がある。笠山の山頂からの日本海も魅力的だ。

でも、ついあの人のことを考えてしまう。いつの日かもしかして、ふいにこの萩を訪れてくれるような気がしてならない。私の勝手な空想なのは分かってはいるけれど、何故かそんな気がしてならない。

もし、宮内さん、いや翔ちゃんが、この萩に来たらどこを案内しようなどと、真剣に考えてしまうことが度々ある。

その時は、私が車で案内したい。宮内さんは、どういうところが好きなのだろうか?私のように、遥か古から続く萩の風情ある景色は好きだろうか?それとも、やはり萩の歴史に想いを馳せるのだろうか?

だが由香里さんは宮内さんと萩で会えるなら、それはどちらでも構わない。至福の時となる。嬉しさを隠しながら頬を濡らすことだろう!だが、そんなことは万に一つもあり得ないと、俯く。

ふと気付くことがある。いつ頃からだったろうか?二年も会っていないからだろうか?最近の由香里さんは、宮内翔太の名を心の中で思う時、その時々の心の変化で呼び方が変わっている。ある時は宮内さんと言い、またある時は翔ちゃんと呼ぶ。相手の心がまだ分からないジレンマからだ。

いつかきっと会える。母の応援に応えたい。いや、でもそれは無理だ。到底叶う筈がない。その二つの気持ちが交差して、その時々で「宮内さん」だったり「翔ちゃん」であったりと呼び方が違っているのだ。由香里さんは、いつか宮内さんの前で「翔ちゃん」と呼べる日が来たら!最近、そんな願望から「翔ちゃん」と呼んでしまうのだ。

ここでいつも冷静になる。今は、家族の夕餉の買い出しのために、そして家族との楽しいドライブの為に、少しでも早く合格することが私の役割だ。会社も、私に特別な計らいをしてくれている。頑張らなければ。

「翔ちゃんが、萩になど来る訳がない。私に会いに来る訳がない。いくら何でも、東京から萩は遠すぎる!」

そう思う時、何故か涙が流れる。そんな時は自転車を走らせ、松陰神社で翔ちゃんの健康と活躍を祈願する。その時は拝殿が滲んで見える。

だが、ふとまた思い直して、もし本当に来てくれたら?とその繰り返しの毎日である。

そう言えば、宮内さんに似たあの若い人とは、暫く会っていない。どうしたのだろうか?気にならないと言ったら、やはり嘘になる。

ある日、暫くぶりで、宮内さん似の青年と顔を合わせた。その人は、親しみを込めた笑顔で由香里さんに挨拶をした。

「こんにちは。今日は、学科教習ですか?私は4時から実技講習です。なかなか上手くいかなくて」

まだ名前も知らないこの宮内さん似の青年は、少しはにかみながら言う。声の調子も、その話し方も宮内さんとは違っている。だが、それでも自分に好意を持ってくれるこの青年が話し掛けてくることを迷惑だとは思っていない。

この青年は最近、学科教習の時に美咲ちゃんの隣に座ることが多い。学習の始まるホンの少し前に教室に入る。由香里さんは思った。先に座らずに、私の脇に座るため、わざと遅れて来るのだと。

ふと、錯覚することがある。一瞬だけれど、この青年が隣に座ると、何となく宮内さんと一緒にいるような気がしてしまう。

ある日由香里さんは、実技学習が済んで、帰ろうとして自転車に乗り、ペダルをこごうとして異変を感じた。何かごつごつとした振動を腰から伝わって来るのだった。自転車から降りて、タイヤを見ると前輪がぺしゃんこだった。パンクしていたのだ。

自転車を買った店はここから大分離れている。どうしようかと迷っている時に、偶然か宮内さん似の青年が近づいて来て言った。

「あっ タイヤがパンクしているみたいですね。困りましたね。あっ そうだ!この近くに運転免許を持った友人がいます。今の時間は多分家にいると思います。彼の家は工務店をしていますので、ライトバンがあると思います。自転車屋さんまで運んでもらえるか、電話で聞いてみますね」

そう言ってその男性は少し離れた所に移動しながら、携帯電話で友達と会話をしていたようだったが、急に振り返って言った。

「今から、ライトバンで来てくれるそうです。自転車を買ったお店まで送ってくれるそうです」

由香里さんは、一瞬迷いましたが、宮内さんに似たこの青年を信じてお願いすることにした。

「すみません。お願いしてもよろしいでしょうか?」

その友人とやらが来てくれるまで、間が持てないと感じたのだろう、この青年は自己紹介を始めた。

「あのう 僕は山本大輝と言います。今、22歳です。まだ大学生です。3月に卒業するので、就職をする前に車の免許を取ろうと思って、教習所に通っています」

静かな語り方は宮内さんとは少し違うと思いながらも、誠実な人柄は伝わって来る。

「私は、渋谷由香里と申します。約二年前に父の転勤で、この萩に越して来ました。今日は助かります。本当に、ありがとうございます」

青年の名を山本大輝と、宮内さんと似た青年の名を初めて聞いた。由香里さんも自らの名を名乗り、感謝の意を表した。

それから、ものの数分もしないうちに、友人とやらのライトバンが姿を現した。

運転席から、日焼けした若者が降りて来て行った。

「大輝、お前の自転車かと思うちょった!ぶち、いびしい(可愛い)おなごの自転車ちゃ?。」

友人という男性は由香里の姿を見ると急に笑顔になり、自転車を軽々と持ち上げワゴン車の後部に入れた。

「じゃあ 汚い車ですけど、乗って下さい」

由香里さんは、先程までは萩の訛りで話していたが、自分には標準語で話し掛けてくるこの青年から人懐こさが感じられた。地元生まれのこの青年は、自転車店の名を言うと、何も聞かずに走り出した。

自転車店に向かう途中、宮内さん似の山本大輝と名乗った青年は、事の真相を何やら山口訛りで、焦った口調で運転席の友人に話し掛けていた。友人は、ただニヤニヤしながら頷いていた。

十数分走っただろうか?見慣れた自転車店の前で、ライトバンは停車した。

今度は、山本青年が自転車を降ろし、店の前まで運んでくれた。

「良かったですね。帰りは、このままご自宅に帰れますよね。気を付けて帰って下さいね」

その声は、はにかんだような、そして本心から喜んでいるのが、由香里さんにも分かった。性格は宮内さんのようにやさしい人なんだと思った。

「ありがとうございます。どうしようかと不安で焦っていました。助かりました。本当にありがとうございました」

由香里さんは、二人の青年に深々とお辞儀して言った。

由香里さんはその晩の夕食時に、今日の自転車の一件について父と弟の前でありのままを伝えた。

「世の中には悪い人もいるが、本当は良い人の方が圧倒的に多い。由香里、今日はやさしい人たちに助けて貰って良かったな。情けは人の為ならず、と言う。陽斗も覚えておけ。誰に対しても親切にしていれば、いつかは巡って自分に帰って来ると言う諺だ。

ところで、ただ言葉だけのお礼では、申し訳ない気がする。その自動車教習所で会う青年とライトバンの青年に、何か品物でお礼をした方が良いと思う。お菓子の詰め合わせでも、渡してあげたらどうだ?」

最近、父は疲れているのか、少し痩せたような気がする。いつも良い上司や愉快な同僚たちで、会社が楽しいと言って湯上りに「美味しい 美味しい」と言いながらビールを飲んでいる。だが、父は、萩支店の経営改革するため本社からの転勤だった筈だ。父は、何か隠してはいないか?由香里さんは、ふと気になったが、あまり気に留めることはなかった。

次の日に、スーパーの贈答品コーナーでクッキーの詰め合わせを二つ買った。山本青年に会った時にいつでも渡せるようにと、自動教習所に行くときはいつも持って行くことにした。

それから、山本青年に会うまで、そう時間は掛からなかった。由香里さんが学科教習で席に着いていると、もう間もなく始まるというギリギリのタイミングで山本青年はやって来て、隣に座った。

由香里さんが、その山本青年に笑顔で軽く頭を下げると、はにかみながら教科書をカバンから取り出した。学習中、由香里さんは山本青年の視線を何度か感じたが、特に不快ではなかった。

「先日は、大変お世話になりました。帰ってから、夕食の時に父に話しましたら、ちゃんとお礼をするようにと言われました。これ、つまらないものですが。一つは車を運転された方に渡してください」

学科教習が終わると、由香里さんは改めてお礼を言い、お菓子の入った紙包みを山本青年に渡した。

山本青年は顔を赤くして言った。

「困っている時は、お互いさまです。そんな気を使わないでください。でも、せっかくですので頂きます。却って申し訳ありません」

その日の教習所の予定が終わり、駐輪場から自転車で帰ろうとした時に、また山本青年と顔を合わせた。山本青年は、何かを決心したかのように、赤い顔をして由香里さんに言った。

「渋谷さん、お願いがあるのですが、今度の土曜日か日曜日に、笠山の麓にある明神池に行きませんか?この池は、汽水湖と言って海水が混じっていて、マダイやイシダイなどが生息している珍しい池なんです。それに、もし112mの笠山に登れば、美しい日本海が望めます。ぜひご一緒に行って頂けませんか?」

山本青年を由香里さんは多少好ましい男性と認識している。それは、この前の自転車の件での、彼の優しさからだった。断れないという状況ではなかったけれど、少し恩義も感じている。

「はい、分かりました。よろしくお願い致します」

由香里さんが返事をすると、山本青年はポケットから手帳を取り出して、由香里さんに言った。

「ありがとうございます。あのう、電話番号を教えて頂いてもよろしいでしょうか?何か連絡したいことがあるかも知れませんので」

由香里さんは一瞬、翔ちゃんの顔を思い出した。翔ちゃんを裏切ることになるのだろうか?

だが、この山本青年に恋をしている訳ではない!恋愛感情を持っている訳ではない!

由香里さんは、電話番号を教えた。すっかり喜んだ山本青年は、電話番号を手帳に書き終わると、上気した顔で確認するように言った。

「渋谷さん、今度の日曜日、東萩駅に10時待ち合わせでどうでしょうか?」

由香里さんの社宅からも、山陰本線東萩駅はそう遠くない。というより、駅までは自転車でも充分行ける距離だ。由香里さんは、僅かに微笑んで頷いた。

山本青年と別れてから、一緒に笠山に行く約束をしてしまったけれど、この話しを宮内さんいや翔ちゃんが知ったらどう思うだろうか?私は、いけない約束をしてしまったのだろうか?

少し、気持ちがすっきりしないまま、家路に急いだ。

日曜日はあっという間に来た。由香里さんは、山手線で翔ちゃんとデートと言えるのか分からないけれど、共に時間を共有したあの日以来、男性と二人で会うのは初めてだった。由香里さんも女としての自覚はある。全く嬉しくないとは言ったら噓になる。

由香里さんは朝食の後、薄化粧をして東萩駅まで自転車で向かった。今日はどんな一日になるのだろうか?楽しかったと言える日になるのか、或いはやはり断っておけば良かったと思う反省の日曜日になるのか?不安な気持ちに揺れていた。

東萩駅に時間通りに着くと、山本青年は薄茶色のコート姿で待っていた。

お互いに、お早うございますと挨拶をした。自転車を駐輪場に置きバス停へと向かった。

「渋谷さん、今日は来てくれてありがとう。とっても嬉しいです」

青年のその顔は、笑顔で溢れている。だが、緊張の為か声が上ずっている。でも、それは誠実な人柄なのだと由香里さんは、そう思いながら言った。

「私は東京から萩に越して約2年になりますが、社宅の周りだけしか歩いたことがないので萩のことはまだ殆んど知りません。よろしくお願い致します」

5~6分待つとバスが来た。越ケ浜行きこのバスは頻繁に通るのだろうか。それともタイミングが良かったのだろうか?二人はバスに乗り込んだ。

10分以上バスに乗っていただろうか?山本青年は口数が少なく、ポケットからハンカチを出し手の内側を拭いたりしていた。何かもじもじしている様子だ。

目的のバス停に着くと、それでも由香里さんを先導して歩いてくれた。

「ここから、明神池までは歩きます。距離は約2キロmですので、ゆっくり歩いても20分と少しです。」

山本青年は、前に何度か来ているようで、由香里さんの数歩前を絶えず歩いた。以前来たことがあるのではなく、この日のために下見をしたのかも知れないと、この青年の人柄から感じられた。

由香里さんは、パンプスを履いて来たのを少し後悔した。購入したばかりのパンプスだ。買う前に一度履いてみたが、別に違和感はなかったのだが、どうもつま先が当たり若干の痛みがある。

通勤で履いているいつもの運動靴ほうが良かったと思った。今日は、まだ恋心を抱いているとは言えずとも、仮にもデートの日だ。決して好かれようとの意識があったとは思わない。だが由香里さんも、もう結婚しても可笑しくない年頃だ。東京の友人からの「結婚しました」との便りを何人かの友人から貰うたびに寂しさを感じていた。

由香里さんも成熟した女性である以上、自分を美しく見せようとするのは、本能なのかも知れない。

友人からの結婚報告を、確かに由香里さんは羨ましいと思う。素直にそう思うけれど、でもあの人以外の人との結婚は考えられない。他の人で我慢するなど、あってはならないことだ。このデートは、山本青年に対し不誠実なのだろうか?由香里さんは、ふと翔ちゃんの顔が浮かび不安になった。

山本青年は、静かだ。話し掛けて来ない。普段も物静かなのか、或いは緊張で言葉が出ないのか、どちらなのかは分からない。だが、むやみに話し掛けられ、全然興味のない話しに付き合わされるよりはずっとましかも知れない。左のつま先がどうも痛む。後どれくらい歩くのだろうか?

山本青年の後を付いて、確かに20分も過ぎた頃だろうか?老樹が生い茂る明神池の美しい水面が見えて来た。その瞬間は、つま先の痛みを忘れた。

由香里さんは思った。萩に来て、いや母が亡くなってからは旅行などを楽しんだことは一度もない。こうした美しい風景を見ることもなかった。母が生きている頃は家族で、決して豪華とは言えないけれど、お弁当持参で千鳥ヶ淵や隅田公園などへ桜を見に行った。

その頃の母は朝早く起きて、家族のために卵焼きや唐揚げなどが入ったお弁当を作ってくれた。その中には、弟の好きな稲荷寿司もいつもたくさん入っていた。

桜の花は美しい。この季節が日本人は大好きだ。名の知られた名所は、人で埋め尽くされている。

かろうじて家族四人が座れるスペースを確保することが出来るのは、弟が素早く走り回って見つけてくれるからだ。

やっと、お弁当の時間がやって来ると、それが開けられた瞬間、姉弟二人先を争い頬張った。

泊まりでの家族旅行もあったけれど、その回数は少なかった。熱海や軽井沢などだった。もう十年以上前の話しだ。旅行中だけでなく、普段から母は、いつも微笑を湛えていた。叱られたことはあるが、怒られた記憶はない。

可能ならあの頃の元気な母と、花見がしたい。旅行がしたい。働くようになった由香里さんだ。今なら温泉にでも連れて行ってあげられるのに。美しい池に感動しながら、そうっと目頭を拭った。

山本青年は池の傍に近寄ると、急に振り向いて言った。

「渋谷さん、この池は昔、笠山と本土の間が陸続きになった時、埋め残されてできた池なのだそうです。水面の下には安山岩の隙間があり、そこから海とつながっていて、潮の満ち引きに応じて水位が変化するのだそうです。いわゆる汽水湖なのだそうです」

一瞬驚いた。由香里さんは慌てる素振りを見せることなく、微笑んで頷いた。不思議だった。いつも静かで穏やかで、そして無口だったこの青年は、私の正面に立ち、身じろぎもせず、しっかりとした口調で話してくれた。この青年は私のために、前もって調べてくれたのだ。この青年の凛々しい一面を知った気がした。

この青年は無口ではない。前にも一度こういうことがあったのを思い出した。この青年の言葉に注意を払っていなかったので気付かなかった。私が遅れて教習所の学科教習の部屋に走って、玄関を開けた時だった。その時この青年と接触した。その折にこの青年が言った言葉だ。

確か私を、小学6年生の時に転校で別れた同級生と勘違いしたと言った。それだけなら、不思議ではない。だが、その少女に好意を持っていたと言った。一度も話したことのない他人にいきなり言える言葉ではない。それとも思慮の足りない人なのか?

少し間をおいて、そして、山本青年は空を仰いで呟いた。

「こんなキレイな風景を、渋谷さんと一緒に眺められるなんて、信じられない!」

由香里さんは、山本青年の言葉に驚き、胸にさざ波が立つのを感じた。物静かな青年と思っていたが、ふいに饒舌になった青年ははにかみ乍らも、正直な思いを口にするその姿勢が、由香里さんには何故か好ましく思えた。

池の畔から、左斜めに鳥居が見えた。由香里さんが、その鳥居を見ているのに気付いた青年は直ぐ反応した。

「渋谷さん、あの鳥居の奥には厳島神社があります。毛利元就が信仰していた広島の厳島神社から神仏の分霊を迎え入れ、建てられたそうです。家運隆盛のご利益があるとして信仰されています。ですが、良縁や幸せの祈願をしても良いそうです。渋谷さん、一緒に祈願しませんか?」

今度も、山本青年は淀みのない説明をした。一緒に祈願をしようと言う。由香里さんが今祈願することは一つしかないと思っている。それは、いつも松陰神社で祈っていることだ。

「はい、私もこの厳島神社でお願い事をしたいと思います。ただ私は不作法者ですので、ご一緒は恥ずかしいので、どうぞ山本さんから先に祈願して下さい」

青年は少し気落ちしたようだったが、直ぐ気を取り直して言った。

「そうですよね。私も、神社での参拝の作法を知りません。ですが、心から祈願すればきっと神様に届くと思っています。じゃ、先にさせて頂きますね」

そう言って、財布からお賽銭を取り出し拝殿に立った青年は、賽銭箱に丁寧に入れた後、確かに、二礼二拍手一礼の作法通りを行った。この青年は、若いけれどしっかりしている。

何を祈願しているのだろうか?青年の願い事の時間がとても長い。気持ちを込めているのが分かる。

「お先に失礼しました」

やがて終え、そう言って由香里さんを拝殿へと促した。

由香里さんは、小銭入れから穴の開いている50円玉を取り出し、お賽銭箱にやさしく入れた。その訳は「穴が開いている方が=風通しが良い・運が通る」とされているからだ。5円玉より10倍のご利益があるかは知らない。

二礼二拍手をして、最後の一礼の時、深々とお辞儀をし、願い事を心の中で囁きました。

「宮内さんとのご縁が切れることなく、いつでもしっかり赤い糸で繋がっていたいのです。きっといつか再会し、私の想いが叶いますように」

厳島神社でお詣りをし、辺りを散歩していたら、お日様の位置が南から若干西寄りに移動した頃となった。山本青年は、腕時計を覗き込みながら言った。

「渋谷さんは、お刺身などの和食はお嫌いですか?」

ふいに聞かれた由香里さんは「和食は好きです」と慌てて返事をした。この近辺には、食事処が多い。山本青年は、嬉しそうな顔をして、直ぐ近くの「漁師の経営する店」と看板に書いてあるお店に案内した。お店に入ると、二階のレストラン席に案内された。

「ここのお店のご主人は、ご自分で船をお持ちで、自分で獲ったばかりの魚を料理しているんです。お勧めは白バイの刺身のようです。渋谷さん『刺身ご膳』で宜しいでしょうか?」

山本青年は、白バイの刺身を由香里さんに食べさせたかったようだ。やがてやって来たお膳には、新鮮な白バイ貝の刺身と共にマグロの刺身、それから御椀物と香の物が乗せられていた。由香里さんの若い歯に、白バイはコリコリとした食感がした。少し独特の香りがしたけれど、甘みがあり確かに美味しい。マグロの刺身は、特に美味しいとは思わなかった。

食べ終わると、コーヒーとプリンのデザートが出た。由香里さんはプリンが好きだ。新鮮な材料で作られた手製の物だと分かった。

デザートも食べ終えたというのに、山本青年はまた口数が少なくなった。はっきりと自己主張するかと思えば、逆に静かすぎる人となる。まだ、この人の性格や考え方が良く分からない。由香里さんは、既に緊張は取れていて、冷静だった。

お会計の段になり、山本青年が支払おうとした時、由香里さんは言った。

「あのう、すみませんがここは割り勘ということでお願いします」

山本青年は照れながら「でも、私がお誘いしたんですから!」

そう言ってお店の人にお金を払おうとしたが、由香里さんは「ぜひ、私にも払わせてください」と言って半分のお金を支払った。山本青年は「やはり都会育ちの人は違いますね」と恐縮した。

お店の外に出ると、青年は由香里さんの正面に立って言った。

「笠山には登られますか?ここから距離は1キロとちょっとです。20分も掛からないと思います。頂上には3階建ての展望台があり、そこからは日本海に浮かぶ小さな島々と、行き交う船を見ることができます」

また、この青年は饒舌になった。多分、話すことを考えて来たのだろうと思う。しっかりこの日のために学習しておいたのだ。

由香里さんは朝から気になっていたパンプスを恨めしく思った。普段履いているスニーカーと違い、どうも歩く度につま先の痛みが強くなる。このパンプスは、由香里さんの足に馴染まない。これ以上歩くと余計辛くなりそうだ。この青年に迷惑を掛かるかもしれない。由香里さんはこの青年には申し訳ないと思いながら、このまま帰るという選択をした。

「申し訳ありませんが、今日の夕方、ちょっとした用事があり、そろそろ失礼したいと思っています。今日は短い時間でしたが、素晴らしい景色が見られ、それにとっても美味しい料理を堪能させて頂きました。

有難うございました。ここから私一人でも帰れますので大変勝手ですが、これで失礼させて頂きます。本当は、途中で帰らせて頂くかも知れないとお話をしておかなければいけなかったのですが、本当に申し訳ありません」

辺りには、まだ寒い季節のせいか人の姿はなかった。由香里さんがそう言った途端、山本青年は残念そうに一瞬顔を歪め、そして胸に秘めていたのであろうその心の想いを告げる場が欲した。

「渋谷さん、少しだけ時間を頂けませんか?立ち話という訳にも行きませんので、ほんの少しの時間で結構ですので、ぜひお願いしたいのですが!」

由香里さんは、青年の意思の強さに圧倒されて、つい返事をした。

「はい、少しの時間なら大丈夫です」

青年は、少し広い道路に出て、カフェと思しき店に由香里さんを案内した。狭い店内のテーブルに座ると、大きく深呼吸をした。随分と緊張しているのが読み取れる。由香里さんは、何事かとやはり緊張して言葉を待った。

「渋谷さん、ご用があったにも拘らず、今日は、お付き合い下さりありがとうございました。

あのう、今日をおいてお話をする機会があるのか分かりませんので、申し訳ありませんが私の話を少しだけ聞いて頂きたいのです」

山本青年は努めて冷静を装うとしているように見える。だが、額からは数滴の汗がしたたり落ちている。その面持ちから並々ならぬ決意を感じた由香里さんは、思わぬ事態に狼狽した。

青年は、続けて言った。

「私の両親は、中学の同級生で22歳の時に結婚しました。祖父母も二十歳でやはり結婚したそうです。わが家の家系は早婚なのです。

先日、母に言われました。『大輝、好きっちゃおなごはおらんの?私は、好きっちゃ!好きなほっちゃ!と二十歳の時にお父さんから言われたよ。お前も、もう春からは社会人だ。一人前の男じゃ、はよぶち(早くとても可愛い)おなごを見つけんといけん!』と、こう言われました。  

初めて二人だけでお会いした初日に、すみません。変な話をしてしまいました。母から言われたので、今日渋谷さんをお誘いしたのではありません。転校した同級生と似ているからと、動機は少し不純だったかもしれませんが、私は将来を共にしたいと思える女性は渋谷さんしかいないと思っています。

渋谷さんとは、知り合ってまだ日も浅く、まだお互いのことは良く分かってはいません。でも私には分かります。私の人生の伴侶はとなる方は渋谷さんをおいて他にはいません!

こんな野暮な私が、渋谷さんにこういうお話しをすることは、正直渋谷さんに大変失礼だと思っています。それは分かってはいます。渋谷さんなら、私なんかよりもっと素晴らしい男性の方が似合います。それは重々分かってはいるのです。

私もこれから先、いろんな女性とも知り合える機会はあるかと思いますが、私には渋谷さんより素敵な人が現れるとは思えないのです・・・」

青年は、コップの水を一口飲んでまた話し続けた。

「どうか、お願い致します。これから、渋谷さん、私と結婚を前提にしてお付き合いをして頂けませんか?」

青年の言葉に、由香里さんは胸の鼓動が激しく脈打ち、眩暈を感じた。この青年は由香里さんにプロポーズをしている。確かに東京の友人たちもこうした経緯を経て、結婚という形に進んだのだろうと思う。こうした場面を全く想定していなかった由香里さんは、何と返事をすべきなのか、思考は滞った。

由香里さんの心は震えている。頬が熱い。冷静になろうと思った。

透きとおった窓ガラスの向こうには、明神池が見える。池では老人と思しき人が、水面に餌を投げている。投げるたびに大きな水しぶきが舞い上がる。老人が高く餌を放り上げると、大きな鳥が飛んで来て、空中で捕らえる。あの鳥は、何という名の鳥なのだろう?

暫く、窓の外を眺めた由香里さんの心は、いくばくか静まり、この場での返事は保留にすることに落ち着いた。

もし、今の申し込みの相手が宮内さんだったらどうしただろう?「はい!」と即答し、嬉し涙を流したに違いないと思う。

「私のような者に、もったいないお話を有難うございます。大変有難いお話ですので、父ともご相談させて頂き、改めてご返事をさせて頂きます」

そう言って由香里さんは深々と頭を下げた。

東萩駅までお送り致しますと言う山本青年に「今のお話しを考えさせて頂きながら、一人で歩いてみたいと思います。大丈夫です。ここで、失礼させて頂きます」と言い、由香里さんは左足のつま先に痛みを感じながら東萩駅へと歩き出した。

由香里さんは歩きながらも、まだ先ほどの山本青年の言葉に動揺していた。

「確かに良い人だ。きっと私を大切にしてくれるに違いない。父に話したら、決して反対はしないだろう。必ず『由香里、自分の人生だ。父親に相談なんかしないでも良い!』と言うに違いない」そう言うと思う。

父は東京駅まで私に会いに来てくれた宮内さんのことを覚えていて、きっと私に負い目を感じているに違いない。新幹線が走り始めたあの時、車窓の向こう側の宮内さんに、私は大きく手を振りながら涙を流した。その様子を見た父は、唇を噛みしめながら涙ぐんでいたと、弟の陽斗が後日話してくれた」

だが、由香里さんは、父には山本青年のことは一切話しはしなかった。もう二十歳を過ぎている大人なのだ。自分の恋愛のことで親に相談する方がおかしい。

由香里さんはその晩布団の中で、蒲田駅で父の誕生日に贈るネクタイを宮内さんに探して貰い、その時にやっとの思いで「私とお友達になって頂けませんか」とお願いしたことを思い出していた。

「はい、宜しくお願いします」と返事をしてくれた宮内さんに、信じられない喜びに震えている時だった。母の「応援しているからね!」という声を確かに聴いた。

宮内不動産にはしばらく電話をしていない。宮内さんの最近のことは分からない。もしかして、綺麗でおしゃれな方とお付き合いをしているかも知れない。いや、そんなことはない。母が応援してくれているのだ。いつか、宮内さんと逢える。きっと私と母の願いは叶う!

それから二日程経って、由香里さんはあの山本青年に手紙を書いた。また自動教習所で会った時に渡そうと思った。

山本大輝 様

謹呈 梅の花も咲き始め、桜の季節ももう直ぐそこまで来ているように思います。

先日は、私を笠山の明神池にご案内下さり、久し振りに美しい風景を眺めることが出来ました。ありがとうございました。

私が中学2年生の時に母は亡くなり、それから私たち家族は花見も旅行もしておりません。ですので、緑の木々に覆われた明神池の水面がひと際眩しく感じられました。また、厳島神社ではお詣りもさせて頂き、心より嬉しく思っております。

山本さまがカフェでおっしゃったお話しですが、至らない私には有り難く、またもったいないお話しだと心より思いました。山本さまと生涯を共にできましたなら、きっと私は生涯悔いのない人生を過ごさせて頂けると確信致した次第でございます。

ですが、正直に申し上げます。私には、心に秘めた方がいるのです。その方とは、ふたりで会ったことは二度しかありません。手を繋いだことすらもない方です。ましてその方は、東京の方です。これからその方と結ばれることは、常識では考えられないかも知れませんが、その方とは遠く離れていても、私は生涯その人を諦める日は来ないと思っております。私はその人とはいつか縁で結ばれるものと勝手に固く信じています。

山本さまに申し上げるのは如何かと思いましたが、素直な心の内をお話しさせて頂きました。万が一、その方への想いが消えることがありましたなら、山本さまとお付き合いをさせて頂きたい等との気持ちがふとよぎります。ですが、それでは余りにも私の勝手であり、山本さまに失礼すぎます。

先日、山本さまとご一緒させて頂いて、私が感じたことを申し上げさせて頂きます。

山本さまには、私などよりもっと素晴らしい才色兼備な方が相応しいと思っています。そして、きっと近いうちにそのような方と巡り合うような気が致しております。

私は食材などのお買い物や、今までなかった家族旅行などのために車の免許を取ろうとしています。働き詰めの父や部活に熱心な弟を誘って、山口の名所なども巡ってみたいと思っています。

山本様には、四月からのご就職でいろいろ運転免許がお役に立つことと思います。お互いに頑張り、早めに合格いたしましょうね。

山本さまのご期待に沿えずに申し訳なく思っております。

今度、自動教習所でお目に掛った時に、この手紙をお渡しさせて頂きます。

また、教習所でお顔を合わせる日が何度もあることでしょう。その時は笑顔で挨拶をさせて頂きます。

これからもよろしくお願い致します。          かしこ

 

書き終えた由香里さんは、また明日も松陰神社にお詣りをしようと思った。

・・・私の一途な想いが必ず宮内さんに届きますように・・・

この時、由香里さんの願いが叶うのは、遥か十年も先になるとは知る由もなかった。  つづく

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