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創作の小部屋「独居老人のひとり言」第32回

2019年06月29日

 「独居老人のひとり言」第32回

昨日からピッチを上げて書いています。早くこの「独居老人のひとり言」を終わらせたいとの想いからです。第32回は今書き上がったばかりです。書きながら、私も物語の世界に引き込まれます。

画像は、第31回と同じ昨日撮ったものです。この季節は、やはり紫陽花が主役です。雨に濡れると紫陽花はもっと綺麗になります。

  「独居老人のひとり言」第32回

第31章 午前3時の男

金曜日の午後4時半ごろ私は家を出た。それから大川さんの家に迎えに行った。大川さんは、ワンピースにカ-ディガンを羽織っていた。とても魅力的だったが、私はそれを言葉にはしなかった。今日は、浮かれてはいられない。

国道を走り、高速道路のインターチェンジの出口近くになってから急に渋滞し始めた。予め覚悟をして早めに出て来たので、慌てることはなかった。カーブを左に曲がり、演歌のタイトルにでもなりそうな名前の川を渡った。

渋滞から解放され少し走ると「道の駅」があった。目的のボランティアの事務所まではもう数キロの予定であり、腕時計は午後5時30分を指していた。

「大川さん、10分位休んでいきませんか?」

私が声を掛けると、大川さんは少し緊張した表情を笑顔に変えて頷いた。大川さんが「トイレに行って来ます」と言って歩き出したので、私は自動販売機に向った。缶入りブラックコーヒーを二つ買った。

「私、本当はとても心配なんです。果たしてこのボランティアの方にお願いして、陽一が社会に復帰できるようになるのでしょうか?小松さんが一生懸命探してくれたのに、こんなことを言ってすみません」

トイレから戻った大川さんはコーヒーを一口飲み、私の顔を見ながら心配そうに言った。

「大川さんの心配は私にも分かります。もしかしたら無駄な時間になるかも知れませんし、1回の訪問料が1,600円程度でも月4回で年間7~8万円位になります。決して馬鹿に出来る金額ではありません。

でも、悩んでいても解決にはなりません。今日、このボランティアの会長と会ったからといって、お願いすると決めた訳ではありません。充分に信頼できるか、それを見極めてから結論は出しましょう!

焦っても良い結果にはならないし、だからと言って臆病になりすぎても前には進めません。今日は、遠慮しないでとことん納得するまで質問して、それから家に帰って今後のことを相談しましょう」

私の言葉に大川さんは、安心したようだった。車に乗り込み再び走り出した。あるラーメン屋さんを左に曲がった少し先に、目的の平屋の建物があった。リフォームしたような古い建物の玄関には、「有償ボランティア 引きこもり真心の会」という看板が建っていた。

「失礼いたします」

ドアを開けながら、私は少し大きな声で言った。すると白髪の混じった女性が姿を現した。

「小松さんでいらっしゃいますか?お待ち申しておりました。主人は今電話中なんです。さぁ~ どうぞこちらへ。他のボランティアの方は帰りましたので、今いるのは主人と私だけです。」

この女性は会長の奥さんのようであった。私たちは、出されたスリッパに履き替え、女性の案内する部屋に入った。8畳ほどの狭い部屋で、4人掛けのソファーが置いてあり、スチール製の机が幾つか並んでいた。隅の方にパソコンとプリンターが置いてある。少しすると先程の女性がお茶を運んできた。

「すみません、お待たせして。主人が話しているのは、20代の引きこもりの方のお母さんからのご相談の電話なのです。こうしたご相談はいつも長くなり、時には1時間を超えることも珍しくありません。もう少しお待ちください」

約束の6時は過ぎていた。このままいつまで待たされるのかと心配になった頃ドアが開いた。

「いや~ 大変お待たせいたしました。申し訳ありません」

会長と思しき高齢の男性が入ってきた。私と大川さんは立ち上がってお辞儀をした。男性は、懐から名刺を出して二人に渡した。

「今日は遠い所をおいで下さいましてありがとうございます。私たちがお役に立つことが出来ましたら嬉しいのですが」

名刺には「会長 鈴木義典」と書いてあった。会長は、ホームページで見た設立のエピソードを話し出した。私と大川さんは静かに聞いていた。不幸な出来事から生じた辛い社会人生活を乗り越え、残りの人生を弱者のために捧げたいという熱意は確かに伝わった。

それから会長は、失礼ですがと言いながら私と大川さんの関係を聞いた。私は、趣味の会の仲間で役員同士ですと答え、更に、電話で話した通りお世話になりたいのはこの大川さんの一人息子の陽一君のことですと続けた。

会長は二人の関係には意に介す様子もなく、机の本棚からノートを取り出した。陽一君の子供の頃の様子や、引きこもりになった前後のこと、それから食事の時間などを大川さんから聞いてメモした。お付き合いした女性がいたかどうかなど、私には何故必要なのか分からない質問もあった。

しばらくして「有償ボランティア 引きこもり真心の会」の会長鈴木義典氏はいきなり言った。

「来週の土曜日の午前3時に伺わせて頂きます!」

私と大川さんは顔を見合わせて驚いた。会長は続けて話した。

「引きこもりの方は、昼と夜が逆転されている方がけっこう多いようです。残念ですが、陽一さんもそのおひとりだと思われます。寝ておられる時間に訪問致しましても、そして声を掛けさせて頂いても、ご返事は期待できません。ですから、起きておられる午前3時ごろに伺わせて頂くのです」

私は最近読んだ新聞記事を思い出した。それは、幼児虐待の通報を受けた児童相談所の職員が、日中訪問したが留守だったので帰ってしまった。それ以降訪問する事も無かったために、幼児は虐待死した。児童相談所長は、私たちに落ち度はなかったと釈明をした。幼児の両親が昼いなかったのなら、夜でも早朝でもなぜ訪問しなったのかと、その記事を読んで私は憤ったのを思い出したのである。

この会長のいうことは正論ではあったが、そこまで弱者に思いを寄せられることが私には信じられなかった。会長はなぜ訪問日を土曜日に設定したのかも教えてくれた。それによると、この会は週休2日制が基本であるため、土曜日の午前3時ごろ訪問しても、この日は休みなので昼に休息が取れるからだと言う。

こんなことがあり得るのかと、私はこの会長が輝いて見えてきた。この世には神も仏もあるものかと、妻が亡くなった頃、私は生きて行くことが辛くなった。そんな私を救ってくれたのが大川さんである。私にとって大川さんは神である。しかし、私の目の前にもう一人の神がいる。そんな気がした。大川さんはもう瞼を濡らし始めている。             つづく

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