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創作の小部屋「蜘蛛の前世」未完成

2020年10月31日

 創作の小部屋「蜘蛛の前世」未完成

10月も今日が最後の日です。今月もまだ1度しかブログをアップしておらず、未完成ながら「蜘蛛の前世」というフィクションを載せることに致しました。初めは、別な目論見があったのですが、書いている途中で流れが思わぬ方向に進んでしまい、結局まとまりませんでした。

後日、読み返して何とかストーリーにすっきりした筋道を付けたいと思います。いつもは、流れの中で起承転結が自然にまとまるのですが、今回は結論が見えてきません。もう少し、時間をかけて再挑戦させて頂きます。

  蜘蛛の前世

私は蜘蛛である。私は、人間の世界でいう21世紀という時代を生きている。

人間は、数億年も後から生まれてきたくせに、他の多くの生き物を虐め、あるいは殺して今日まで生きながらえている。確かに、その体の構造と言語能力は優れていて、どんな生き物も敵わない。それは認めるが、自分たちの都合のためだけに生きている。多くの物を作ったりしているが、それは自分たちの食料とするため、動物や魚などを生け捕りにしたり殺したりする物ばかりだ。

人間は勝手だ。そのうえ、自分たちに都合の悪い生き物は抹殺する。人間は自分たちが嫌いなネズミ・ゴキブリ・蟻・蚊・蛾などの命を奪う。また、勝手に山の奥まで入り込み森林を伐採する。その影響で食べ物を獲れなくなった動物たちが麓に降りてくると、害獣駆除とやらの散弾銃が待ち受けている。それらの被害者は主に猪・ヒグマ・日本鹿・日本猿・狼・狸などだ。人間は惨い。

どんな動物でも、私のような蜘蛛でも生きる権利がある筈だ。私などは、人間から根っから嫌われ、見つけられるとその場で直ぐ殺される。確かに一部の仲間には、毒を持った蜘蛛がいることも事実だけれど、ほとんどの蜘蛛が人間の言葉でいう『益虫』であることを知らない。

ある時私は、つくば市の公園の樹木を住処としていた。樹木の下にはあベンチが置いてあり、近くの子ども連れの夫婦や老夫婦がひと時の憩いによく利用していた。特に、日差しの強い夏場には、日陰として喜ばれていた。

ある日、可愛い女の子を連れた若い夫婦がやって来た。主人が私を見つけてこう言った。

「クモは、蚊やその他の害虫を捕獲して食べてくれるから、益虫なんだよね」

その言葉を聞いたときは、巣から落ちそうなくらい嬉しかった。生きていても、どうせ近いうちに鳥やトカゲの餌食になるのだと、生きる意欲を失くしていた時だったので、少し元気が出た。

もし、あなたの家の中に蜘蛛の巣があったとすれば、それは害虫が存在している証拠であり、その虫を食べているのだから、感謝されても良い筈だ。餌の害虫がいなくなれば、その家から蜘蛛は即座に出ていく。

だが人間は蜘蛛を毛嫌いし、見つけると必ず殺そうとする。狩人蜂や小鳥にも狙われている。なので、危機を察知すると私は、幹の皮の裂け目に逃れる。

だがこの樹木には、昼間の疲れを癒すためのねぐらとする多くの鳥たちがいた。夕方には夥しい鳥たちが帰って来ていた。私は危険から逃れるために近くのビルに逃げ込むことにした。綺麗なビルではあったけれど、餌の小さな虫は余るほどいた。

そうだ!ここ数年、多くの生き物が被害に遭っている出来事を話してみたい。数年前までは、つくばも街から少し離れると、喉かで美しい風景が広がっていた。だが現在は、あらゆる雑木林が大きなショベルカーでなぎ倒され、その後に数万枚の太陽光パネルとかが建てられている。筑波山を望む緑豊かな心優しい田園風景が、情緒のない無機質な空間となってしまった。

その過程で多くの昆虫たちが命を亡くし、また猪、ハクビシン、蛇、狸そしてイタチなどは行き場を失くした。もちろん私の仲間の蜘蛛もほとんど命をなくした。住処を失くしたカラスやスズメなど鳥たちも安らぎの場を失い、悲しんだ。人間は自分のことしか考えない。自分たちの生きるためなら何でも殺すし、破壊もする。

(私の前世) ここで話は、急展開する。

ある時、私の前世は加賀藩の足軽だったということを知った。どうして知ったのか?蜘蛛でも夜は眠る。私が夢を見ていた時に「閻魔大王」と思しき姿の者が現れてこう言ったからだ。

「お前は、前世においてとても許すことのできない非道の限りを尽くした。よって、輪廻転生、『蜘蛛』としての生を与えたのだ!」

不思議なもので、その夢から覚めたとたん、前世での出来事が薄皮を剥がすように浮かんで来た。確か私は加賀藩の足軽だった。徐々に当時のことが蘇ってきた。それらを少し話し、それから私の現在の思いを晒してみたい。

足軽の私は当時、庭付きの一戸建ての家に住んでいた。平足軽で50坪、小頭の足軽は70坪の、庭付きの一戸建てが与えられていたのである。私は小頭を任されていた。

足軽風情が、長屋でなく庭付きの一戸建てに住むことが許されるというのは、加賀藩だけのようだ。他の藩では足軽長屋という狭い部屋に押し込められて暮らしていたらしい。加賀藩は、財政的に随分と豊かであったという証に他ならない。この庭付きの住居は、十軒単位で数千もの数があったようなので、敵からの攻撃の盾の効果もあったのかも知れない。

私たち足軽に知らせを告げる使いの者は、昇進や拝領などの吉報は玄関から、その逆のお咎めなどの悪い知らせは裏口から入って来る。それなので、裏から使いの者が入ると何事かと誰もが竦んでしまう。だが幸いなことに私には一度もなかった。

当時藩主は、まだ加賀藩が誕生する前の藩祖前田利家だった。1576年5月、越前で発生した一揆で私の藩主は、残忍の限りを尽くした。磔(はりつけ)や大きな鉄鍋を熱して縛った女子どもを含む農民を放り込んで悶え死にさせた。こうした「釜煎り・釜茹での刑」などで、捕らえた1,000人余りを殺戮したのだった。

私は足軽の小頭だったので、役目柄その惨殺に大いに関わった。およそ30名の部下に、女子どもに関係なく泣き叫ぶ者たちを、鉄鍋の中に放り込むよう大きな声で指図した。

今、思い返すといたたまれない。言い訳になるが、当時の武士社会では上の者の命令に逆らうことは死を意味していた。当時、私には妻と二人の男の子どもがいた。家族を守るということは、死ぬことより辛いこともあるのだと悟った。凄惨な現場で私は悪魔となった。

輪廻という言葉を知っている人は多いと思うが、私には前世での罪により「閻魔大王」から蜘蛛にされ、とにかく生きている。私は前世では、蜘蛛を毛嫌いした。よく軒下に巣食った蜘蛛を見つけると、笹竹で払って踏み殺した。因果なことに、輪廻ではその蜘蛛となってまたこの世に生を受けた。

農民を殺した私と同じ足軽頭が、私のように輪廻で別な生き物となって生を受けているのかは知る由もない。中には、再び人間として生まれ変わっているかも知れないし、ネズミやゴキブリなどの可能性もある。

蜘蛛の立場から見ると、人間の未来は決して明るくはないと思う。        つづく

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