創作の小部屋「クリーニング店員の涙」
2020年12月12日
創作の小部屋「クリーニング店員の涙」
ここ最近、コロナの罹患者数が大分増えました。結婚式を予定されていた方や、旅行を計画されていた方など、とてもお悩みだと思います。お慰めする言葉が見つかりません。
そうした意味から、今回のブログは少し勇み足かもしれません。何とぞ、お許しくださいませ。
クリーニング店員の涙
明子さんは、還暦を迎えて結婚後初めての仕事に就きました。クリーニング店での窓口業務のパートです。
今までは専業主婦でしたが、夫が昨年病気で亡くなり、一人っ子の長男も遠くで一人暮らしをしているため、時間を持て余していました。でも、正直それだけではありませんでした。
夫の遺族年金で何とか生活はしていけましたが、家の中にばかりいると気がめいり、生活にメリハリがなく、つい億劫で食事が2度の時もあります。
ある日、鏡の前に立った明子さんは、思わず叫んでしまいました。
「えぇ~これが私? 知らない人に70歳と言っても信じられちゃうかも?」
一大決心して、このクリーニング店で働き始めたのです。
ある日、普段よりお客の数が少ない雨の日でした。営業時間終了の7時が過ぎ、明子さんはシャッターを閉めようとしました。すると駐車場から白髪の混じった年配の男性が飛び込んで来ました。
「すみません、今日は終わりですか?ズボンとワイシャツ、何とかお願いできないでしょうか?」
明子さんは、笑顔で大丈夫ですよと応えると、男性は少しの時間も欲しいように、お金を支払い飛び出していきました。
明子さんは、随分とせっかちな人だなと思いました。お客さんの預かり物は、一応ポケットの中を確認します。本当は、お客さんの前でするべきでしたが、その前に男性は焦って帰ってしまったのです。
念のために、ワイシャツのポケット、ズボンのポケットに手を入れました。
すると、ズボンの後ろポケットに、A4サイズの少し汚れた、またヨレヨレの折りたたまれた1枚の紙が入っていました。
その紙をビニールの袋に入れ日付と時間を書き、保管用のケースに入れました。シャッターを閉め、私服に着替え、帰ろうとしました。その時、ふと先程の男性のズボンのポケットから出てきた紙が気になりました。本来は、お客様のプライバシーに反する行為で、店主に知られたら叱られることは間違いありません。ですが、ヨレヨレの紙1枚を見ることが、それほど悪いこととも思われず、つい袋から紙を取り出してしまいました。
A4サイズのくたびれた紙の上部に、ボールペンで1週間分の日付が書かれ、その日付の右側には正の文字が幾つも続けて記されていました。暗い所ででも記入したのか文字は歪んでいました。
11/16 正正正正正 11/17 正正正正一 11/18 正正正正正一 11/19 正正正
11/20 正正正正正 11/21 正正正一 11/22 正正
明子さんは、一人暮らし。急いで帰る必要もなく、シャッターを閉めたお店に人が来る心配はないので、少し立ち入り過ぎかなとも思いましたが、椅子に腰を掛け読み始めたのでした。文字は、パソコンで打ってあり、所々の文字に赤い下線が引いてありました。
「新郎・雅裕の父、吉川和夫でございます。僭越(せんえつ)ではございますが、両家を代表いたしまして、私から一言ご挨拶をさせて頂きます。
皆さま、本日はご多用のところ、二人のためにお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。
また、たくさんの方々から祝辞や、励ましのお言葉を頂き、心より感謝申し上げます。
雅裕が小学一年生の時の運動会での出来事を少しお話しさせて頂きます。
地区対抗のリレーで、本当は別の子どもが出る予定でしたが、体調を崩したとのことで、当時はとても小柄だった雅裕が、急きょ出ることになりました。親としては、どうなることかと心配でした。ピストルの音が鳴ると、なんと雅裕が先頭を走って、次の走者にバトンを渡したのです。親バカですが、とても嬉しかったのを覚えております。
新婦の祐香さんを初めて雅裕から紹介された時の第1印象ですが、ご両親から大切に育てられた、笑顔の可愛い、とても性格の良い女性だということでした。きっと祐香さんなら、雅裕と幸せな家庭を築いてくれるだろうと確信いたしました。雅裕にはもったいないくらい素晴らしいお嫁さんだと思っております。
これから雅裕と祐香さんは、夫婦として長い道のりを歩んでいく訳ですが、今日のような晴れの日ばかりではなく、雨の日も、雪の日もあろうかと思います。まだまだ未熟な二人ですから、その節は、ご列席の皆様の暖かいご指導とご鞭撻を、どうかよろしくお願い申し上げます。
本日は不慣れな宴席で、不行き届きな点も多々あったかと思いますが、何卒、お許し願います。
結びになりましたが、皆様のご健康とご繁栄をお祈り申し上げ、両家の挨拶とさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました」
何と、結婚式での新郎の父親の謝辞でした。「まぁ、素晴らしい謝辞だこと」
この新郎のお父様は、式の最後の挨拶で失敗しないように、相当な練習をされたのだということが、ヨレヨレした紙から分かりました。
手書きの汚い正の文字も、その父親の心意気を証明していました。推測するに、結婚式の1週間前から、この挨拶分を読んだり、暗唱したりした回数を、その度ごとにボーペンで正文字を加えていったようです。
この正の文字の汚さは、明るい家の中ではなく、仕事が済んだ後、夜の公園や人通りの少ない路傍での練習と推測されました。正の文字を数えてみると、全部で138回でした。家に帰る途中で、家族の方にも内緒で練習されたのかも知れません。空腹も我慢し、息子のために恥をかかないよう、強い気持ちで頑張られたのでしょう。
この中で11月22日だけが、10回と回数が少ないので、カレンダーを見てみますと、大安でした。おそらく式の当日も朝早く起きて、近くの公園ででも練習なされたのでしょう。
明子さんは感心していましたが、不意に涙が溢れてきました。明子さんの夫は病に倒れ、一人息子の結婚式に出る夢も、昨年断たれました。
生きていて息子の結婚式に出られたなら、この手紙のご主人のように、原稿で悩み、そして暗唱で苦しみ、それでも息子の晴れ姿のために、きっと頑張ったことでしょう。
明子さんは思いました。この手紙のご主人がワイシャツとズボンを受け取りに来た時は、勝手に見たことを叱られても責められてもかまわない。一言、お祝いを申し上げようと思いました。
「この度は、息子さんのご結婚、誠におめでとうございました」
おわり