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創作の小部屋「福寿草とスズメ」

2023年02月06日

 創作の小部屋「福寿草とスズメ」

節分も終わり、もうロウ梅の香りも消えてしまいました。しかし、福寿草が咲き始めました。春は、確実にそこまで来ているようです。

今日は、思い立ってスズメの話しを急に書きたくなりました。実は我が家の庭にスズメの餌台を作り、毎日餌をあげているのです。ですが、一年中餌をやってはいけないことをネットで知りました。餌の少ない冬場だけなら良いそうです。探せば餌のある季節まであげてしまうと、本来、野生動物であるスズメを自立出来なくしてしまうとのことでした。

今日は、スズメの気持ちになって小話を書いてみました。

  序章「福寿草とスズメ」

私たちスズメは毎日、生きるために必死になって餌を探しています。

今から数十年前は、私たちの仲間はとっても生きて行くことが楽だったそうです。何故かというと餌が沢山あったそうなのです。人間のように、お金も宝石も必要ないのです。お腹が一杯になる餌があれば、それだけで幸せなのです。そうすれば私たちスズメは、永久に存在することが出来るのです。

私たちの仲間は、この20年間で2割も減ってしまったのです。なぜだかわかりますか?

私たちが生きて行くためには2つのものが必要です。ですが、その2つのものが非常に少なくなってしまったからです。

1つ目は、そうです。私たちスズメが生きて行くために必要な充分な餌です。そして2つ目には、私たちが快適に住めるねぐらです。私たちの命は、平均2年程です。その短い間に子を産み育てなければ、滅びてしまいます。

私たちは大昔から、人間と共存して暮らして来ました。知っていましたか?私たちも、人間には益鳥と言われる時代があったのです。お米を作られている農家の方には、稲を勝手に頂くことがありますので嫌われているかと思います。ですが、稲作や野菜作りの天敵である害虫を食べて差し上げていた時代もあったのです。

ですが、益鳥と言われる時代は、とうの昔に終わってしまいました。それは、人間が化学合成農薬というものを使用した頃からです。

田んぼに、その農薬は広範囲にまかれたために、私たちの餌になるウンカやイナゴなどの姿が消えてしまいました。また、畑にも散布されたために、青虫や毛虫・ミミズなども消え、私たちはホトホト食べていくのが困難となり、仲間が次々と飢えと体力低下で亡くなっていきました。

それでも冬以外の季節なら、木の実や草や雑穀などを何とか探して食べて生きて行けますが、冬は食べる物が本当に少ないのです。お腹を空かしている日が殆んどです。

2つ目は、私たちの住む場所が毎年減り続けているという現実があります。私たちは体が小さく、カラスや小型の猛禽類(タカなど)に狙われています。ですので夜は身の危険を避けるために大きな木に数十羽で身を寄せ合って眠ります。ところが数年前から太陽光発電とかで、雑木林が次々と切り倒されて、私たちのねぐらがどんどんと減って来ているのです。これから益々私たちの眠る木々が無くなるかと思うと、正直、眠れないくらい不安なのです。

木の枝よりも安心して眠ることができ、また卵を産み育てる場所としても最適なのが、人間の屋根の瓦の隙間です。雨や強風、それから雪などから身を守ることが出来ます。でも、この人間の住む家も最近はすっかり変わりつつあります。無機質なコンクリート造りの家や、瓦などを一切使わない家に建て替えられたりしています。私たちの住み易い瓦屋根が雑木林と同様、益々減りつつあるのです。

今の私たちは、今日を生きるのがやっとです。もしかしたら、私たちは人間の支配する世から、いつの日か姿を消さざるを得ない日が来るような気がします。本気で危惧しているのです。

  本編【福寿草とスズメ】

私はスズメです。今は、ある家の屋根瓦の中が住み家です。瓦の隙間に子どもや血縁の者と5羽で暮らしています。日が暮れると眠り、明るくなると餌探しに出掛けます。昼間は他の集団と行動を共にする仲間が多いのですが、私たちは5羽で行動しています。

冬の寒いある日のことでした。運よく餌にあり付けた私たちは、この家の柿の木の上で休んでおりました。そうしましたら、この家の主人が、何かを庭で作り始めました。何枚かの木の板を平面に繋ぎ、長い棒の先に釘を打ち付け、何か台のような物を作りました。その大きさは、私たちが10羽くらいは乗れる大きさでした。主人は、その台の棒の先を花壇の中に埋め込みました。

私たちスズメは、今でも人間の狩猟鳥獣の対象として認められているくらいですから、遠い昔から多くの仲間が、人間の空気銃などで撃ち殺され、食べられて来ました。ですので、人間は信用できない、決して近づいてはならぬと仲間内で言い伝えられています。

花壇の台の上に、この家の主人が朝と昼に何かを置いています。スズメの私たちは、人間に負けないくらいの視力を持っています。柿の木の上からでも、米粒であることが分かりました。私たちは、この主人の姿を見ると、急いで飛び立ちます。何を考えているのか分かりません。生け捕りにしようかと企んでいるのかも知れません。空腹の私たちは、食べたい気持ちを抑えるのに苦労しましたが、殺されたり生け捕りにされるよりはましです。何日も、米粒が乗った台には近づきませんでした。

それからしばらくして、空腹に耐えかねた私の腕白坊主が私の隙を盗んで、ついに米粒を食べてしまいました。私たち夫婦は、毒が盛られていたらと心配で、生きた心地がしませんでした。でも、その時は何事もなく安心しましたが、決して心を許してはならないと強く息子に言い聞かせました。

この家の主人は、餌台の上の米粒が少し減ったのに気を良くしたのでしょうか?それからも餌の米粒を置き続けました。

この寒中には、山や畑、それに池の周りなどを探し回っても、空腹を満たすだけの餌は滅多に見つかりません。そういう状況ですから、米粒には大きな魅力があり、直ぐにでも啄ばみたい気持ちを抑えるのは大変でした。

空腹で我慢できないと言う息子に、私の夫も「少しだけ食べて、様子を見よう!」と妥協しました。ですが、家の中から物音がしない時まで我慢して待ちました。待つのはとても辛いことでしたが、食べ始めると、少しだけと言っていた夫も夢中で食べていました。確かにそれはご馳走でした。餌台の米粒がすっかり無くなるまで、5羽で食べ尽くしてしまいました。食べた後、体調の変化が心配でしたが、今回も何事もありませんでした。

餌が無くなっているのに気付いた主人は、朝と昼だった米粒を夕方にも置くようになりました。

ですが、主人の姿や人の気配がするときは、決して近寄りませんでした。それでも、少しずつこの家の主人を信用し始めてしまった私たちは、主人が餌を置いて家の中に入ると同時に餌台の上に、柿の木から、ある時は電線の上から降り立ち、いつも夢中で食べるようになってしまいました。

私は、隣の家に住むスズメの仲間にも、この餌台のことを話しました。隣りのスズメは6羽で暮らしておりましたが、随分とお年寄りばかりのなのです。しょっちゅうお腹を空かしており、可愛そうだったからです。それなので、餌台に集まるのは全部で11羽となりました。

そうこうしているうちに、冬の寒さは変わりませんでしたが、日が長くなるようになり、間違いなく春の足跡が近づいて来たように感じた頃です。ちょうど庭の福寿草が黄色い可愛い花を咲かせた頃です。

この家の主人の姿が見えなくなりました。私たちは、またお腹を空かせるようになりました。

すっかりこの家の餌に甘え切った私たちは、初めてこの家の主人の有難さが分かりました。どうやら、主人は沖縄に長期出張されているそうです。

もう少しで春です。春になれば、きっとこの家の主人から餌を貰わなくとも生きて行けます。それまで、少しの辛抱です。大丈夫です。この家の主人のお陰でこの冬は乗り切れました。心から、この家の主人には感謝しています。

私たちは、いつか沖縄から帰られる主人の姿を思い浮かべ「ありがとうございました!」と餌台に向かって叫びました。                      おわり

 

今書いたばかりです。これでアップしてしまうのは早急すぎます。また、推敲の後で修正するかも知れません。福寿草の画像はある方からお借りしました。有難うございました。アイキャッチ画像は、家から近いヘラブナの管理釣り場です。

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